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安土桃山・江戸時代 武士の時代(2)

[2010年3月18日]

ID:1132

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武士の時代(2)

織田信長(おだのぶなが)と東近江市

 長い間、日本中に戦(たたか)いの続(つづ)いた時代がありました。戦国時代(せんごくじだい)といわれる時代です。しかし、織田信長という武士(ぶし)が、戦いに勝ちながら少しずつ日本をまとめていきました。

 信長が東近江市にせめてきたのは、1568年です。能登川地区(のとがわちく)や五個荘地区(ごかしょうちく)で戦(たたか)いがありましたが、そのころ滋賀県をおさめていた佐々木氏(ささきし)は、すぐに逃げ出してしまいました。そのあとも、鯰江城(なまずえじょう)などで戦いがありましたが、最後は信長が戦いに勝ちました。そして、信長は、東近江市と近江八幡市のさかいにある安土山にたいへんりっぱな安土城をつくり、ここに移ってきます。

 そのほかにも、市内には、信長に関係のあるいろいろなできごとが起こりました。一度調べてみると、おもしろいと思います。

朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)

 江戸時代、日本では、外国とのいききがゆるされていませんでした。でも、一部の国とはいききがありました。そのひとつが今の韓国(かんこく)です。そのころは朝鮮と呼よばれていました。

 朝鮮は、日本のリーダー(将軍)が代わるたびに、お祝いの使いを送ってきたのです。これを朝鮮通信使といいます。韓国から海をわたって九州に、九州から大阪、大阪から江戸(今の東京)へと通っていったのです。この使いが通った道が、能登川地区を通っています。今もその道を朝鮮人街道とよんでいます。そのころに人びとが、外国の人を見ることはほとんどありませんでした。そのため、朝鮮通信使が通るときは、たくさんの人々びとが見物に来たといわれています。能登川地区を通ったときも、きっとにぎわったことでしょう。

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