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東近江市の遺跡紹介

[2017年7月26日]

ID:7936

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東近江市の遺跡シリーズ(リーフレット)

 市内の主要な遺跡について、簡単に紹介したリーフレットです。

縄文時代の遺跡

相谷熊原遺跡(あいだにくまはらいせき)
所在地:永源寺相谷町
 
 相谷熊原遺跡は、鈴鹿山麓のゆるやかな斜面上に広がる縄文時代を中心とした遺跡です。発掘調査によって、縄文時代草創期(約13,000年前)の竪穴建物跡、縄文時代晩期(約3,000年前)の墓跡などが見つかりました。
 とくに縄文時代草創期の遺跡は、近畿地方では類例が少なく、滋賀県内では初めての発掘調査でした。この時期では最も規模の大きい竪穴建物跡や、最古級の土偶が出土するなど、常識をくつがえす大きな成果をもたらしています。

正楽寺遺跡(しょうらくじいせき)
所在地:神郷町、種町

 正楽寺遺跡は、縄文時代後期前葉(約4,000年前)を中心とした集落遺跡です。竪穴建物跡やドングリ貯蔵穴、大量の土器や動物遺体が堆積した土器塚などが見つかっています。出土した土器には、東西各地の土器が含まれ、当時の人々の活発な交流があったことがうかがえます。また、環状に配された柱穴跡、土面や石棒などの祭祀道具が出土するなど、縄文時代の多様な暮らしが理解される遺跡です。

箕作山(みつくりやま)東麓の遺跡
所在地:建部瓦屋寺町・建部日吉町

 箕作山は、湖東平野にある特徴的な独立山塊の一つで、箕作山東麓から東側の田園地帯は、かつて愛知川の伏流水が地上に現れる沼沢地でした。一帯では、日吉遺跡をはじめとする縄文時代晩期から奈良時代までの遺跡が密集して見つかっています。現在見ることができる遺跡としては、大塚古墳、大塚庵古墳、上日吉古墳群、瓦屋寺古墳群、北山古墳などの横穴式石室をもつ古墳がたくさん所在します。また、瓦屋禅寺、松尾神社など趣のある古い寺社があり、歴史探訪におすすめです。

弥生時代の遺跡

能登川石田遺跡(のとがわいしだいせき)
所在地:林町、山路町

 能登川石田遺跡は、琵琶湖岸から約5キロメートル内陸部に位置します。付近は近年まで水路が複雑に入り組んだ、琵琶湖への湖上交通の拠点でした。縄文時代後期から鎌倉時代にかけて連綿と人々の暮らしの痕跡が見つかっていますが、特に弥生時代後期の自然河道と環濠がめぐる集落遺跡が知られています。弥生時代に特徴的な銅鏃やふいごの羽口が出土する青銅器の生産の痕跡が見つかっています。

古墳時代の遺跡

神郷亀塚古墳(じんごうかめつかこふん)
所在地:長勝寺町
 
 神郷亀塚古墳は、地元では「亀山」と呼ばれ、乎加神社(おかじんじゃ)の境内地として、地元の皆さんによって大切に守られている遺跡です。発掘調査によって、「亀山」は、墳丘全長約37メートルの前方後方墳であることがわかりました。弥生時代末から古墳時代初め、近江の初期古墳は前方後方墳が卓越することで知られています。古墳の西側には、祭祀に使ったとされる土器が溝から出土しており、長期間に渡って古墳がまつられていました。

雪野山古墳(ゆきのやまこふん)
所在地:東近江市上羽田町、近江八幡市新巻町、竜王町川守町
 
 雪野山古墳は、今からおよそ1700年前に築造された全長70メートルの前方後円墳です。被葬者が埋葬されている竪穴式石室が、未盗掘の状態で見つかったことで、大変注目を集めました。副葬品からは、卑弥呼の鏡といわれる三角縁神獣鏡や中央政権との関係によってもたらされる宝物を数多く所有していることがわかりました。とても高い地位の被葬者がいた証であり、近江を代表する古墳です。

木村古墳群(きむらこふんぐん)
所在地:川合町、木村町

 木村古墳群は、雪野山と玉緒山に挟まれた平野部に位置する、古墳時代中期に国内でも有数の規模を持つ古墳群です。名神高速道路の建設や土取りのために破壊されていますが、5基以上の古墳によって構成されていたと考えられ、およそ100年間の間に連綿と古墳が築造されました。中でも天乞山古墳(あまごいやまこふん)、久保田山古墳(くぼたやまこふん)は、現在、あかね古墳公園として復元整備されており、古墳に登ることができます。

八幡社古墳群(はちまんしゃこふんぐん)
所在地:中羽田町

 雪野山には200基以上の古墳時代後期の古墳が築造されています。その中でも八幡社古墳群は、雪野山東麓に築かれた17基の古墳からなる古墳群です。八幡社46号墳は、全長が24メートルの前方後円墳で、3つの横穴式石室をもっている大変珍しい古墳です。後期古墳群に前方後円墳が含まれる例は県内で知られておらず、特にこの古墳群が周辺を治めた首長層の墓域と目されています。

勝堂古墳群(しょうどうこふんぐん)
所在地:勝堂町
 
 勝堂古墳群は、愛知川右岸中流域の平野部である勝堂町一帯に、48基もの古墳が分布していたとされる、大変規模の大きな古墳群でした。ほ場整備や土取りによってその多くが失われ、現在は6基の古墳が残っています。赤塚古墳(あかつかこふん)、弁天塚古墳(べんてんつかこふん)は公園整備されており、弁天塚古墳の外周にある堤を真近に見学することができます。また、集落内には、県内でも最大規模の横穴式石室を持つ行者塚古墳(ぎょうじゃつかこふん)やおから山古墳などがあり、大きな墳丘を見学することができます。

山面古墳群(さんめんこふんぐん)
所在地:猪子町、佐野町

 山面古墳群は、繖山(きぬがさやま)に180基以上確認されている古墳時代後期の群集墳の一つで、33基の古墳からなる古墳群です。それぞれの古墳は直径約10メートルの円墳で、横穴式石室が造られています。52号墳と呼ばれる古墳の発掘調査では、ガラス管玉やめのう勾玉などの貴重な副葬品が見つかっており、古墳群の中でも有力者のお墓であったと考えられます。里山整備が行われており、一部の古墳を見学することができます。

奈良時代から平安時代の遺跡

八日市壺焼谷遺跡(ようかいちつぼやきだにいせき)
芝原南遺跡(しばはらみなみいせき)
所在地:芝原町

 布引丘陵では、丘陵の土、地形を利用して奈良・平安時代に須恵器の生産が行われました。八日市壺焼谷遺跡は、丘陵の南側傾斜面に2基の窯跡と1基の竪穴建物が残る遺跡です。八日市壺焼谷遺跡のすぐ近く、丘陵上の平坦面には、生産工房とされる芝原南遺跡が発掘調査されています。なお、八日市壺焼谷遺跡は、布引運動公園グリーンスタジアムの遊歩道沿いに保存されています。

法堂寺廃寺跡(ほうどうじはいじあと)
所在地:佐野町

 法堂寺廃寺跡は、文献には残されていませんが、巨大な塔心礎が残っていることで、昔から当地に古代寺院の存在が知られていました。発掘調査によって、金堂跡や中門跡などの伽藍をもつ、白鳳時代から平安時代まで存続した寺院跡であることがわかりました。現在は法堂寺遺跡公園として整備され、塔跡などが復元されています。

宮井廃寺(みやいはいじ)
所在地:宮井町
辻岡山瓦窯跡(つじおかやまがようあと)
所在地:宮川町

 日野川と佐久良川が合流する地点の近くに、7世紀後半の白鳳寺院跡である宮井廃寺があります。発掘調査によって、金堂・塔・北方建物など本格的な伽藍を持っていることがわかりました。さらに、宮井廃寺から南東600メートルにある辻岡山丘陵には、宮井廃寺で葺かれた瓦や須恵器を生産した辻岡山瓦窯跡が見つかっています。

金貝遺跡(かなかいいせき)
所在地:野村町

 金貝遺跡一帯は、愛知川の砂礫が厚く堆積しているため、灌漑用水路を掘削し、ため池をつくるなどの開発が古くから行われています。発掘調査では、奈良時代から平安時代につくられた灌漑用水路跡と大型掘立柱建物跡、さらに国内最古級とされる神社本殿遺構が見つかったことで大変話題となりました。神社本殿遺構の跡地は、県史跡として現地保存されています。

中世と城館跡の遺跡

百済寺境内(ひゃくさいじけいだい)
所在地:百済寺町

 百済寺は、現在、湖東三山の一つとして有名な天台宗の古刹です。その歴史上、特に鎌倉・室町時代に隆盛を誇り、都にその名が轟く湖東の大寺院でした。百済寺境内として史跡に指定されており、指定面積が80万平方メートル以上と広大な遺跡です。山中には約260区画の中世の堂・坊跡が残り、当時の繁栄の姿を物語っています。

後藤館遺跡(ごとうやかたいせき)
所在地:中羽田町

 後藤館遺跡は、「後藤堀」の字名が残っており、近江守護職佐々木六角氏の重臣だった後藤氏が居住していた、単郭方形の屋敷跡です。高さ3メートルの土塁の一部が残っており、発掘調査によって、掘立柱建物跡、門跡や堀の一部が確認され、鎌倉時代から室町後期までに存続していた遺跡であることが判明しています。遺跡整備されており、外側から見学することができます。

大森城遺跡(おおもりじょういせき)
所在地:大森町

 大森城遺跡は、佐々木六角氏の家臣団の一つである布施氏の山城跡と伝わります。布引丘陵の標高約233メートルの尾根上に築かれ、東西約90メートル、南北約108メートルの範囲に、遺跡が広がっています。主郭と3つの曲輪、周囲の尾根を土塁とし、土塁平坦面に櫓があった痕跡が残っています。

鯰江城(なまずえじょう)・井元城(いもとじょう)・青山城(あおやまじょう)・小倉城(おぐらじょう)
所在地:鯰江町、妹町、青山町、小倉町

 愛東地区では、愛知川の河岸段丘が発達しており、段丘崖を利用して築かれた城館遺跡が、段丘に沿って分布しています。これらは、在地土豪の鯰江氏、森氏、青山氏、小倉氏の城とされています。また井元城は、伝承に残っていない城跡で、特殊な形態の虎口を持つことから、織田信長軍が鯰江城を攻略する際の陣城であったと推定されています。

能登川地区の中世城館跡
所在地:能登川地区
 
 能登川地区の安土城築造以前にあったとされる城や館の遺跡を紹介しています。史実に記載されていたもの、地名、土塁や堀などの構造から、城や館の存在を想定できる遺跡で、発掘調査は行われていません。佐生城(さそじょう)遺跡は、観音寺城のある繖山の北側の先端部にあり、佐々木六角氏の家臣後藤氏の城跡と伝わります。登り口から30分程度登ったところで、算木積みの立派な石垣が残る城跡を見ることができます。

近世から現代の遺跡

伊庭御殿遺跡(いばごてんいせき)と朝鮮人街道
所在地:能登川町

 伊庭御殿遺跡は、江戸初期に徳川将軍が上洛する際の休憩所として作られた施設の跡です。朝鮮通信使が通った朝鮮人街道近くに所在し、地元では「御殿地(ごてんじ)」と呼んでいます。発掘調査によって、建物の一部とされる石列や根石、井戸跡などが見つかっており、代々徳川家の大工頭をつとめた中井家資料にある指図と一致しています。

布引掩体群(ぬのびきえんたいぐん)
所在地:尻無町、下二俣町、柴原南町、芝原町

 東近江市の中央に位置する沖野ヶ原と呼ばれる一帯に、昭和20年の敗戦まで、陸軍八日市飛行場がありました。布引掩体群は、昭和19年から20年の戦争末期に、飛行機などを非難させて隠す目的や爆風から保護する目的で作られた施設です。数少ない陸軍八日市飛行場に関連する遺跡として、貴重なものです。

お問合せ

東近江市役所 教育委員会 埋蔵文化財センター
電話: 0748-42-5011      IP電話:050-5801-5011    ファックス: 0748-42-5816

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