新春特集 First special feature of 2011 三方よしで 安心と夢のある まちづくり 対談 滋賀県知事 嘉田由紀子    東近江市長 西澤久夫  輝かしい平成23年が幕を開けました。  今年は地域医療の再生や市民自治など、本市の改革を着実に実現しなければなりません。  新年のまちづくりの展望を、嘉田由紀子知事と西澤市長が語ります。 写真:並んで立つ嘉田知事と西澤市長 市長 市民のみなさん、新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。 知事 東近江市民のみなさん、あけましておめでとうございます。 ◆プロフィール 嘉田 由紀子(かだ ゆきこ) 滋賀県知事 昭和56年滋賀県庁に入庁。琵琶湖研究所研究員、琵琶湖博物館総括学芸員を経て、平成12年に京都精華大学人文学部教授および琵琶湖博物館研究顧問となる。平成18年7月に滋賀県知事に就任し、現在2期目。琵琶湖の保全・再生、次世代育成型社会の実現や地域の魅力の再発見などに取り組む。 ●「三方よし」の実践 市長 今日は、近江商人の「三方よし」の家訓を残された、中村治兵衛(なかむら じへえ)さんの屋敷跡に隣接するお宅に嘉田知事をお招きしました。私たち滋賀県民にとって、三方よしとは本当に意義のある言葉ですが、知事も三方よしをいろいろなところでお使いになられていますね。 知事 今日は、三方よしの発祥の地にお招きいただきました。ここを本拠地にして、天秤棒一つで活躍した近江商人の精神に、あらためて感動しています。  三方よしとは、今でいうCSR※1のことですが、もともとは近江商人が、売り手よし、買い手よし、そして結果として世間よしの三方よしを生み出しておられたことは、滋賀県民の大きな誇りです。  私も、県政で三方よしを使わせていただいています。例えば、親子が共に幸せを実感できるように、子育て支援や子どもの命を守る取り組みなどを「子育て三方よし」として、また昨年からは、若者の仕事づくりを「滋賀の『三方よし』人づくり事業」として始めました。これは、求職する人が自分の力を発揮でき、そのことで企業も発展し、結果として社会に活力がみなぎるというものです。 ※1 CSR・・・Corporate Social Responsibility(コーポレート ソーシャル レスポンシビリティ)の略。企業の社会的責任の意味。 写真:嘉田知事の横顔、西澤市長の横顔 ●東近江市での三方よし 市長 本市ではこれまでから、東近江医療圏域全体で「東近江地域医療連携ネットワーク推進会議(通称:三方よし研究会)」を立ち上げて、医師、看護師などの医療関係者、介護関係者、行政、市民が、一人ひとりの病気や人生へのかかわり方を研究されています。  特に今年は、地域医療の分野が大きく変化する年で、一人ひとりに合った医療や介護、さらに最期の看取(みと)りまで考えていきたいと強く思っています。  人は、自分の人生を最期から見つめていくと、意外と有意義な生き方ができると思います。  私は、これは一種のバックキャスティング※2だと思いますが、知事も、看取りや終末期医療がとても重要だと考えておられますね。 知事 そうですね。死の問題を不安に思いながら隠していると、不安がさらに内向きになり、人との信頼関係が崩れたり、家族でも話題にできなかったりします。今は天寿を全うできる時代ですから、政治や行政が最初から死の問題をタブーにしないでおこうと考えています。  死の問題に真っ向から取り組むのに大切なことは、医療と介護と看護、そして健康を維持する予防です。その問題を、三方よし研究会が取り組んでおられ、まさに滋賀のモデルとして、たいへん心強く思っています。そういえば、東近江市には在宅医療を頑張っておられる先駆者がおられますよね。 市長 永源寺診療所の花戸貴司(はなと たかし)先生ですね。花戸先生は、「家族と一緒に最期を過ごしたい」という患者さんの希望を実現するために、患者のご家族とも話し合い、介護福祉士、看護師などと手を取り合いながら、在宅での看取りに取り組まれています。また、同じく永源寺を拠点とする桝田(ますだ)医院でも、同様に在宅医療に取り組まれています。  こうした地域や家族の中での助け合いのしくみを、行政も支援しています。 知事 私たちが子どものころ、1950年代、60年代は、8割の人が自宅で亡くなっていました。子どもや孫が生老病死(しょうろうびょうし)を日常生活の中で体験することにより、人はいつか亡くなるということが実感できました。しかしここ数十年は、医療の進歩によって、最高水準の医療を最期まで病院で受けられ、今では8割の人が病院で亡くなっています。  では、本人や家族は本当に幸せかということですが、平成21年の県政世論調査では、半数以上の人が「自宅で最期を迎えたい」と回答しています。私たち政治家は、住民のみなさんの思いに沿った行政サービスを考えなければなりません。 市長 このことは、育ちゆく子どもたちが命の大切さを感じたり、お年寄りをみんなで大切にしようという思いも含めて、本当に大切なことだと思っています。 ※2 バックキャスティング・・・将来像から現在を振り返り、今すべきことを考える方法。 写真:花戸先生の往診が、在宅医療を支える。(撮影:フォトジャーナリスト 國森康弘さん) ●地域医療の再生が動き出す 市長 こうした在宅での看取りを進めながら、今年は2つの市立病院と国立病院機構滋賀病院の体制の建て直しに向けて、本格的に動き出します。  具体的には、国立病院機構・滋賀医科大学・県・市が一緒になり、滋賀病院に新しく中核病院*1を設置します。平成25年度には中核病院として本格的に稼動する予定ですが、それまでにしっかりと形づくっていきたいと思います。 知事 医師不足や医療体制の崩壊は、全国的な問題です。大都会にしか医師が集まらず、公立病院が閉鎖される中で、思い切って作られた東近江市の医療再生計画は、全国のモデルになると思います。  その中でも、滋賀医科大学の総合内科と総合外科の寄附講座*2は、いわば滋賀病院の中に大学の分校ができるということで、計画の特徴になっていますね。 市長 今年はその寄附講座に、教授やスタッフが来られます。滋賀医科大学には、滋賀病院で研修医をしっかりと育成でき、滋賀に定着できる中核病院にすると決意をいただいています。私たちも、地域をあげて応援をしていきたいと思っています。 知事 医療技術の進歩で医師が専門化してきましたが、これからは、地域医療を担う人を育てていくことも必要です。「人を診る、暮らしを見る中で、医療の成果を上げよう」という滋賀医科大学の理念を、今回、滋賀病院で実現していただくことになりますね。 市長 この計画には、市内の医師会、歯科医師会、薬剤師会、介護関係者など、多くの人々に応援していただき、期待を持っていただいています。環境は整えたので、これからは受け入れに力を注ぎ、地域医療を再生しながら、将来は滋賀県の医師として県内に定着していただく拠点になればと思っています。 知事 これまで開業医のみなさんが地域医療を支えてこられた歴史があり、新たに来られる大学の先生も入り込んで、医療、介護、看護、在宅療養の連携のモデルにしていただけると期待しています。 *1 中核病院(仮称:独立行政法人国立病院機構東近江総合医療センター)  かかりつけ医では行うことが難しい専門的な検査や治療など、市内・圏域内のほかの医療機関ではできない機能をもつことで、地域の医療連携の中核を担います。 *2 寄附講座  医科大学に資金を提供して、その資金を原資に医大生への講座を開設してもらいます。通常は医科大学内に講座を開設しますが、本市では全国的にもめずらしく、中核病院内に講座を開設します。  寄附講座の開設で、大学の教授クラスの医師が常勤しますので、より安定的な医療を提供できるようになります。 写真:中核病院が整備される国立病院機構滋賀病院 写真:現場で医療を担う医師とも懇談を重ねています ●全国のモデルを東近江市から 市長 医療のほかにも、全国のモデルになるものを作りたいと思っています。  この1月から、市民自らが指定管理者*3となって、地域のコミュニティセンターの管理運営を始めていただく地域があります。今後は、東近江市で14館あるコミュニティセンターや公民館を順次、指定管理者制度で運営していただこうと考えています。運営費用を市が負担し、市民のみなさんによるまちづくりをお願いしていきます。 知事 医療や介護、まちづくりは、中学校区くらいの小さな区域で、全体のバランスをとっていくことが大切ですね。  自ら助ける「自助」、共に助ける「共助」、この2つに「公助」がうまくバランスをとる、未来に対して夢のある地域社会を期待をしています。 市長 人々が元気に生きていくためにも、到達すべき将来像を見届けながら取り組めば、すべてのことがうまくいくと思います。 知事 「終わり良ければすべて良し」と言いますが、目標に向かうため、逆に目標からさかのぼる「バックキャスティング」で、夢のある政策をともに実現できるよう、よろしくお願いいたします。 市長 ぜひ応援をいただきますようによろしくお願いいたします。 *3 指定管理者制度  公の施設の管理に民間の能力を活用しつつ、より質の高い住民サービスの提供を図ることを目的に、平成15年の地方自治法改正によって生まれた制度です。  本市では、民間事業者、NPO、地域の団体など幅広い担い手が「指定管理者」となって、89の公の施設を管理しています。 写真:指定管理者での運営が始まる平田コミュニティセンター 写真:談笑する嘉田知事と西澤市長 ◆近江商人 中村治兵衛宗岸(なかむらじへえそうがん) 屋敷跡(五個荘石馬寺町)  中村治兵衛家は、江戸時代中期の麻布商。特に2代目の宗岸は、「売り手よし、買い手よし、世間によし」という、近江商人の格言として有名な三方よしの理念を説いた人物です。  中村治兵衛家の家訓には、「たとえ他国へ商内に参り候ても、この商内物この国人一切の人々皆々心よく着申され候様にと、自分の事に思わず、皆人よき様にとおもひ、高利望み申さず、とかく天道のめぐみ次第と、ただそのゆくさきの人を大切におもふべく候・・・」と記されています。売り手によし、買い手によしは常識ですが、これに世間よしを加えたものが「三方よし」です。  幕藩時代、特に他国での経済的貢献は近江商人独特のものとして歓迎されました。これが、地域に貢献する「三方よし」として商人たちに浸透していきました。  現在この屋敷跡は、隣接する「七福堂製菓」の川添頼昭さんが所有され、庭園として美しい風景を醸(かも)し出しています。 写真:中村治兵衛宗岸屋敷跡