■記号は、問=問合わせ IP=IP電話 FAX=ファックス 日本遺産「永源寺と奥永源寺の山村景観」  平成27年度に日本遺産として「琵琶湖とその水辺景観」が認定を受け、「伊庭の水辺景観」「五個荘金堂」が構成資産に選ばれました。  今回、「永源寺と奥永源寺の山村景観」が追加で構成資産に選ばれたことにより、東近江市は鈴鹿山脈から琵琶湖まで日本遺産に認定されたと言えます。 水が信仰に深く関わる大本山永源寺  永源寺は臨済宗永源寺派の大本山であり、南北朝時代の康安元年(1361年)、近江守護佐々木氏頼に請われ、高名であった寂室元光禅師が開山しました。深山幽谷の様が中国の天目山を思い起こさせ、修行の場として最適とされました。永源寺は愛知川に沿って境内が広がり、僧の修行は愛知川の清流の音とともにあると言われます。  また、門前の洗耳水では、世俗の汚れを聞いた耳を洗い清め、寺坊に向かうとされています。  禅の道場として美しい景観とともに、水が信仰に深く関わっていることが伺えます。 愛知川水系が育む奥永源寺の山村景観  奥永源寺地域の山間部は愛知川の源流域であり、鈴鹿の一滴は豊かな森を経て谷川に集まり、やがて愛知川となって平野部を潤します。  山間部は平坦地が少なく、深い谷では水を得ることも困難で、平野部のような稲作や畑作が困難でした。そこで、斜面を利用して茶業が営まれ、「宇治は茶所、茶は政所」と呼ばれるような茶の産地になりました。  また、山水を利用し、上流から引いた清水は玄関先の水槽で魚を飼ったり、生活用水に利用されるとともに、近代の火災の経験から集落内の各地に防火用水として水槽が設けられています。  この水槽には蛇口が設けられ、洗い物や夏季には野菜や果物が冷やされていたりと日常生活の中で利用されています。  さらに、山間という地勢から豊かな森の木材を用い、古くから木地生産が行われ、ここから全国に木地師が広がっていったと伝わります。今も蛭谷町や君ケ畑町では木地師が日用食器や茶器などの製品の生産を続けており、また木地師の祖として惟喬親王は全国の木地師の信仰を集めています。 「永源寺と奥永源寺の山村景観」について聞きました。 幻想的な山々の景観や静寂は これからも大切にしていきたい。 臨済宗永源寺派大本山永源寺 管長 道前慈明さん 大本山永源寺の魅力の一つは、景観です。新緑も紅葉も季節ごとの景観が素晴らしい。特に雨の日は雲が沸き起こり煙るので、幻想的な山々の景観は都会では見ることができません。  奥永源寺地域の山々の深さとあわせて、ぜひ訪れて感じてほしいものです。  望むことは何もありません。ただ、愛知川の清流の音や鳥のさえずりを聞くことが楽しみでしたが、交通量が増えたことで聞こえづらくなりました。便利さと相反するので難しいですが、これからも静寂と景観を大切にしていきたいと思います。 地域を訪れて、好きになって移り住んでほしい! 蓼畑町 自治会長 河島邦夫さん(奥永源寺地域七自治会 代表)  奥永源寺地域の魅力は、豊かな自然が創り出す景観です。山間には政所茶、木地師の祖といわれる惟喬親王の伝説、愛知川沿いにはキャンプ場が点在しています。それぞれが豊かな自然の恩恵を受けており、景観がとてもすばらしいと感じています。  石榑トンネルが開通したことで交通量が増え、「道の駅奥永源寺渓流の里」もにぎわっています。この地域を訪れる人が増えて、この地域を好きになって移り住んでくれる人が少しずつ増えてほしいと思います。特に若い人が移り住んでくれるとうれしいですね。 鈴鹿山脈から琵琶湖まで 自然、歴史と文化を発信 日本遺産は、文化庁が国内の文化財を共通した特徴をストーリーとして認定し、国内外に発信することで、地域の活性化につなげることを目的としています。  日本遺産の県内構成文化財のうち、水源地から、平野部、琵琶湖岸まで所在するのは東近江市だけです。  鈴鹿山脈の一滴は、山では木地師の文化や山村景観を生み出し、平野では豊かな水田地帯を潤したり近江商人の礎を築き、そして湖岸では水に育まれる多様な暮らしぶりを生み出しました。  これらの魅力的な自然、歴史や文化などの地域資源を、日本遺産の認定を契機に、より積極的に本市の魅力として発信していきます。 問=歴史文化振興課 電話=0748‐24‐5677 IP=050‐5801‐5677 ファックス=0748‐24‐1375