情報ピックアップ 東近江市×聖徳太子 東近江から発信 聖徳太子1400年悠久の近江 魅力再発見 ゆかりの数だけ、魅力がある! 聖徳太子との物語をつむぐ ◆なぜ今、聖徳太子なのか  社会の教科書でもおなじみの聖徳太子は、多くの日本人に親しまれる歴史上の人物です。  2年後の令和4年(2022年)は、聖徳太子が622年に亡くなられて1400年目の節目の年を迎えることから、今、聖徳太子が注目されています。  滋賀県内には、聖徳太子が建立したと伝えられる48カ寺(太子48院)をはじめとして、太子ゆかりの神社やお寺などが数多くあり、その数は奈良や大阪と並び全国有数といわれています。東近江市内には、太子ゆかりの社寺や旧跡など28カ所を数え、改めて聖徳太子の足跡が色濃く残る地域であることが分かります。  本市では、2年後の御遠忌に向けて、太子ゆかりの社寺など市内の関係者が一致協力し、近隣市町や関係機関とも連携して、観光振興の取り組みを進めています。  今回は、その中心となって参画されている市内の3社寺の皆さんに、聖徳太子とのゆかりや今回の事業に向けての思いを語っていただきました。  問=観光物産課  電話=0748‐24‐5662 IP=050‐5801‐5662 ファクス=0748‐23‐8292 ◆インタビュー  NPO法人歴史資源開発機構   ヘリテージマイスター  大沼芳幸さん  ・全国一の分布密度  聖徳太子ゆかりの歴史文化遺産(寺院、堂、神社、史跡、地名、伝承)の数は、県内に160カ所以上とおそらく全国で最も多く、分布密度が高いのが特徴です。東近江エリアは、そのうち約6割を占め、県内で最も色濃く残っている地域です。  聖徳太子は、外国文化を積極的に取り入れ、仏教を日本に広めた祖として信仰の対象となった「正」のイメージしかないまれな歴史上の人物です。  今回の観光振興事業の取り組みを契機として、近江と聖徳太子のより具体的な伝承をひもとき、関係性を探ってみたいと思います。 ◆百済寺(百済寺町)  百済寺は、聖徳太子が仏教を広く後世に伝えるため、法隆寺(奈良)、広隆寺(京都)、百済寺(近江)の3カ所に分散して建立したといわれている寺院の一つです。  百済(韓国)からの渡来人のために創建され、606年に落慶法要が行われたと伝えられています。  寺宝は、本尊十一面観世音菩薩(秘仏)や聖徳太子孝養像などがあり、本尊は根が付いたままの杉の巨木に彫られていることから、別名「植木観音」とも呼ばれています。また、本寺は北緯35.1度線上に位置し、熱田神宮、太郎坊宮、比叡山、次郎坊(鞍馬山)、百済(韓国光州)がほぼ一直線上に並んでおり、奇跡のパワーラインとなっています。  釈迦山 百済寺【国史跡】濱中亮明 住職 ◆瓦屋寺(建部瓦屋寺町)  瓦屋寺は、聖徳太子が四天王寺(大阪市)を建立する際、箕作山の土で瓦を焼き、その瓦を使って寺を建立したことから瓦屋寺と呼ばれています。造られた瓦は、文献上では10万6千枚とされています。  令和5年10月から12月まで、聖徳太子御作の『千手観音』や『太子の2歳姿を表した合掌仏(南無仏)』などの秘仏を50年ぶりに御開帳の予定です。この地域一帯には、聖徳太子ゆかりの伝説が多くありますので、御遠忌を機に神仏に祈り、自らの心と向き合い、見つめ直す機会になればと思っています。今後は、御朱印やスタンプラリーなど、東近江地域の参拝ルートを巡ってもらえるような取り組みができればと考えています。  石崎山 瓦屋寺 藤澤弘昭 住職 ◆太郎坊宮(小脇町)  太郎坊宮は、正式名称を阿賀神社といいます。この「太郎坊」とは、阿賀神社を守護する天狗の名前であると伝わっています。本殿は、市内が一望できる赤神山の中腹にあります。  この山は岩山で、山自体が信仰の対象として崇拝されています。神社の縁起によると、聖徳太子をはじめ、伝教大師最澄や源義経などのこの山への信仰が太郎坊宮の歴史の始まりと伝えられています。当神社は、聖徳太子が国家の安泰と人々の幸福を祈願して創建されたといわれています。いろいろな由来や言い伝えなど物語がありますが、おのおのに受け止めて信仰してもらえればと思っています。  太郎坊宮 奥田素之 宮司 ◆“奇跡のパワーライン”って知ってる?  日本地図を眺めていると、あることに気が付きます。  西から順に、龍雲寺(韓国光州)、鞍馬山次郎坊(京都市)、寂光院(京都市)、比叡山延暦寺(大津市)、太郎坊宮(東近江市)、百済寺(東近江市)、熱田神宮(名古屋市)が位置し、これらの寺社は、すべて北緯35.1度線上に存在します。この偶然とも思える配置は、実は意識した配置という説があり、「奇跡のパワーライン」と呼ばれています。  韓国の龍雲寺には、百済寺本尊と同じ杉で彫られたと伝わります。渡来人が「奇跡のパワーライン」の潮流に乗せ、海を越えて東近江の地に先進の技術と文化を伝えたのではないでしょうか。  (百済寺 濱中住職 談) ◆聖徳太子に思いをはせて  滋賀県は、古来から渡来人が入植し、ものづくりや土木の先端技術を導入し、豊かな地域がつくられてきました。聖徳太子が仏教で国造りを進める際に、こうした東近江地域の先進性と豊かさに目を付けたのかもしれません。こうして近江に積極的に進出した結果、聖徳太子ゆかりの旧跡が全国的に見ても濃厚に残る地域となったのではないでしょうか。  東近江市の太子ゆかりの社寺などについては、パンフレット「聖徳太子Wo探せ」で詳しく解説されています。  これを機に、ぜひ一度ご覧ください。今回ご紹介した以外にも、わがまちには、まだまだたくさんの聖徳太子の足跡が残されています。  さぁ、パンフレット片手に、わがまち東近江探検に繰り出しましょう。  パンフレット「聖徳太子Wo探せ」は、市観光協会や近江鉄道の各駅に設置しています。