鎌倉・室町 武士の時代(1)
[2010年3月18日]
ID:1131
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この時代、滋賀県(しがけん)をおさめていたのは、佐々木氏という武士でした。その屋敷(やしき)は、はじめ東近江市内(ひがしおうみしない)の小脇町(おわきちょう)にありましたが、そのあと、東近江市と近江八幡市(おうみはちまんし)のさかいにあるきぬがさ山に大きなお城(しろ)をつくって、そこにうつりました。
この城は、観音寺城(かんのんじじょう)といいます。今も城跡(しろあと)に行くと、石垣(いしがき)がたくさん残(のこ)っています。
市内には、佐々木氏のけらいもたくさん住んでいました。中羽田町(なかはねだちょう)には後藤氏(ごとうし)の大きな家のあとが残っています。そのほかにも、伊庭氏(いばし)・鯰江氏(なまずえし)・大塚氏(おおつかし)・小川氏・布施氏(ふせし)などが、市内に住んでいて、力を持っていたけらいたちでした。
市内今堀町(いまぼりちょう)にある日吉神社(ひよしじんじゃ)に、むかしの書類(しょるい)がたくさん残っています。この書類には、武士の時代、今堀町の人たちがどんな暮らしをしていたのかが書かれています。これによると、人びとは自分たちでいろいろな決まりを作って、それを守りながら暮らしているようすがわかります。村のことは、村の人が話し合って決めていたのです。
むずかしいことばですが、このようなしくみの村を、「惣村」(そうそん)とよんでいます。