木地師のパンフレットができました
[2017年10月12日]
ID:7746
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蛭谷町と君ケ畑町は、お盆や椀、こけしなどを作る木地師を統括していた地として、「木地師のふるさと」と言われ、今も全国各地に奥永源寺地域に思いを寄せる多くの木地師やその子孫がおられます。
こうした皆さんの思いや全国のゆかりの地の状況を知るため、平成28年度に平成の氏子駈・氏子狩復活事業としてアンケート調査やヒアリングを実施しました。
事業の一環として、木地師のことをより多くの人に知っていただくためのパンフレットを作成しましたので、ご覧ください。
木地師パンフレット
A3判短辺とじ両面印刷後、縦に2つ折りします。
A3判短辺とじ両面印刷後、縦に外4つ折りして、上下を2つに折ります。
● 事業名
平成の氏子駈・氏子狩復活事業(へいせいのうじこかけ・うじこかりふっかつじぎょう)
● 実施期間
平成28年11月25日(金)から平成29年3月25日(土)まで
● 実施内容
(1) 木地師にかかわる文献や資料の調査
(2) 全国の木地師名簿の作成
(3) 全国の木地師やゆかりのある人へのアンケート調査
(4) 全国の木地師に対するヒアリング調査
(5) 木地師に関する情報発信事業(フェイスブックの開設、パンフレットの作成)
文徳天皇の第1皇子惟喬(これたか)親王が近江国小椋ノ庄(現在の東近江市蛭谷町、君ヶ畑町)に居をかまえ、ろくろによる木地製作の技法を、家臣であった小椋大臣実秀と大蔵大臣惟仲に伝授したのが木地師の始まりといわれています。
「氏子駈帳・氏子狩帳」は、木地師が住んでいる地名や人名などが列記された冊子で、江戸時代の木地師の様子や全国の木地師の分布と移動の様子などを示す貴重な資料です。