■新春対談  濱中亮明(釈迦山百済寺住職)小椋正清東近江市長   撮影場所:釈迦山百済寺 書院  進行 岡崎みゆき(東近江スマイルネットキャスター)  プロフィール  濱中 亮明(はまなか りょうみょう)  1944年生まれ。京都大学大学院工学研究科修了後、民間企業に就職。実家のお寺(比叡山東門院)の後継ぎのため、僧侶の資格を取得。昭和46年に、百済寺の後継者として声がかかり、  近江最古刹として有名な百済寺をこれまで守ってきた。現在、聖徳太子1400年悠久の近江魅力再発見委員会の幹事として、来年実施される記念事業の開催に向けて取り組んでいる。 ■歴史文化の魅力発見〜原石に磨きをかけて、未来への継承〜  令和3年、新しい年を迎えました。  鈴鹿の山々から琵琶湖まで広がる東近江市。本市は、多様な自然の上に万葉の時代から連綿と続く悠久の歴史を誇ります。  市内には、国史跡や重要文化財をはじめとして、県・市の文化財指定を受けた社寺などが数多く所在し、豊かで奥深い歴史・文化を実感できる素晴らしい地域資源が至る所にあります。  本市が有する歴史・文化を生かしたまちづくりを進め、いかに誇りや愛着の持てる東近江市を築いていくのか。  そこで今回は、釈迦山百済寺(百済寺町)を訪問し、濱中亮明住職をゲストに、小椋市長と対談していただきました。【撮影日:令和2年12月2日】  小椋:市民の皆さん、明けましておめでとうございます。昨年は大変な一年でいろいろなことがありましたが、こうして新年を迎えることができたことを心からうれしく思っております。     どうぞ今年もよろしくお願いいたします。  濱中:新年明けましておめでとうございます。本年が平和で皆さまにとりまして、すばらしい一年でありますことをお祈り申し上げます。  ●一年を振り返って  ―昨年は日本の社会全体が転換期という一年でしたが、振り返っていかがでしたか。―  小椋:昨年は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止対策と、その感染症がもたらす経済対策に追われた大変な一年でした。     市民の皆さんのご協力により、クラスターを含めて多くの人が感染するという事態は避けられたと思っています。     これまで日本人にとっての幸せや豊かさとは、お金持ちになること、あるいは利便性の高い都会に住むことというのが一つの価値感だったと思います。     今回のコロナ禍は、そのような価値観を大きく変えた一つの転機になったのではないでしょうか。  濱中:一にも二にもコロナ対応でした。春には桜の咲く前からゴールデンウィーク後までの約1カ月半ほど、参拝を停止しました。紅葉の時期には、好評だったライトアップも中止しました。     残念な一方で、それにより時間の余裕ができ、庭園や境内地の整備や清掃に力を入れることができました。特に、仁王門の金剛像と力士像は、現在、解体修理に出しています。     来年は聖徳太子が亡くなられて1400年を迎え、その関連するさまざまなイベントを行う予定です。その際には、仁王門の2体の像も美しくよみがえった姿で出迎えてくれますので、     ぜひともご利益を感じていただきたいと思っています。  ●百済寺の魅力や見どころ  ―百済寺の魅力や見どころについて教えてください。―  濱中:百済寺は、1400年以上の長い歴史があり、県内では最古級のお寺です。山号は釈迦山と言い、お釈迦様の釈迦が付いています。寺号(寺の名前)は百済で、朝鮮半島の百済を意味しています。     仏教が日本に到達してくるまでには、インドから中国、中国から朝鮮半島の北部(特に百済)を経由してきました。まさに釈迦山百済寺は、仏教が日本に到達する「記念碑的な存在」なんです。  小椋:私にとっては宝物です。ここを誇りに思う魅力は、秘仏として安置されている立ち木のまま刻んだ十一面観音(植木観音)や庭園のほか四季折々の景色のすばらしさであり、     この釈迦山百済寺から見る湖東平野から琵琶湖まで続く景色です。偶然にも沈む夕日がものすごくきれいなときに来たことがありますが、とても美しく涙が出るほど感動したものでした。  ●東近江市の歴史・文化の活用  ―東京一極集中が疑問視され、地方の豊かな自然や歴史・文化の価値が再評価されています。本市が誇る「歴史・文化」についてお聞かせください。―  小椋:東近江市には、鈴鹿の源流から琵琶湖まで広がる森、里、川、湖という豊かで多様な自然、その上で営まれるさまざまな暮らし、さらには1000年を超える歴史文化が各地に数多く存在しています。     東近江市は、そういった日本のすべてのエキスが凝縮した地域であると思っています。そうした雄大で多様性のある自然、あるいは深い歴史や文化、伝統、そういったものは莫大なお金をかけても作れないし、買えないんです。まさに東近江市だけが持てる宝物なのです。     まずは足元にあるすばらしい宝物を、市民の皆さんに知っていただきたいと思います。  濱中:歴史や文化というものは、自然や風土がかなり支配するんですね。学生の頃に先生から滋賀県は特異な気候だと教わりました。東海気候、瀬戸内気候、北陸気候の3つが重なり合うところが湖東からこの     東近江一帯なんです。そういう風土のところでは、必ず独特の文化や歴史が形成され、風俗も特異なものができてきます。その代表的なものを近江の歴史舞台で捉えると、織田信長が顔を出します。     「地上の天国」と称されたこの百済寺を焼き討ちした織田信長は、尾張の清州を拠点としていましたが、あそこほど危険な場所はありません。それで、安心安全を求めて探した安楽浄土の地に、安楽の     「安」と浄土の「土」の2文字をとって「安土」と名付けたんです。信長の選んだこの東近江一体を我々の財産として、この地域を再び立派な政治経済、文化の中心にもっていければと思っています。     聖徳太子や信長に次ぐ第3のスーパースターのような人が現れるのを待ち遠しく、今後見つめていければと思っています。  ●聖徳太子を地域資源として全国に発信  ―東近江市と聖徳太子のゆかり、今後の具体的な発信方法について教えてください。―  小椋:聖徳太子の伝説や信仰は全国各地にありますが、東近江地域には100余りの聖徳太子ゆかりの寺社が集中していることが分かりました。     そこで、この縁を地域の貴重な資源としていかに活用していくべきか、来年の薨去1400年を記念した観光キャンペーンは、一つのまちが単独ではできないため、広域での観光振興が重要であると考えています。     そのため、2市2町(東近江市、近江八幡市、日野町、竜王町)と聖徳太子にゆかりのある寺社、観光協会、さらに商工団体も交えて、「聖徳太子1400年悠久の近江再発見委員会」を昨年設立しており、     これを核として事業を始めていきます。歴史・文化資産というのは、磨きをかけて活用することによって、後世に伝えられるものと考えています。「東近江市はすごいところがいっぱいだね。行ってみよう」という     判断基準にもなるので、本市が誇る資産が重要文化財や国宝に指定されるよう頑張っていきたいと思っています。  濱中:実は、百済寺には「百済寺樽」という清酒があります。百済寺は、畿内の銘酒を造る四大清酒発祥地の一つなんですが、途絶え埋もれていたこの歴史に光を当て、復活させたのは市民の皆さんです。そういう例もあり、     現在ある文化財を単に現状レベルでとどめておくのではなく、磨き上げてまずは市の文化財に、さらに県や国の指定文化財へとつなげていってほしいと思います。     なぜなら、多くの文化財がある地域は自信と誇りがあります。東近江市民にとって心の財産になるわけです。  ―市政に期待することをお聞かせください。―  濱中:東近江市には、未指定文化財や眠れる価値ある文化財があちこちにあると思います。それらを指定化の方向へもっていっていただけることに非常に心強く感じています。     また、来年聖徳太子が亡くなられてから1400年を記念した各種のイベントが行われますが、それを成功に導くためには、市民の皆さんのご協力とご理解が必要となりますので、よろしくお願いします。  ●文化と教育がキーワード  ―市民の皆さんへメッセージをお聞かせください。―  小椋:これからは文化と教育が非常に重要なキーワードになってくると考えています。文化とは、まさに歴史や芸術といったものに通じるわけですが、クオリティの高いまちをつくるためには欠かすことのできない要因です。     一方、教育とは、学校教育だけではなくて広い意味での生涯学習です。スポーツから趣味の世界まで幅広く教育だと考えています。アフターコロナを見据え、この東近江市のすばらしい場所や環境、暮らしをさらにPRし、     日本中の人に「東近江ってすごくいいね」と言われるまちをつくるための要素として、文化と教育を施策のポイントの一つとして更にまちのクオリティーを高めていきたいと思っています。     今年も市政発展のため、努めてまいりますので、皆さんのご理解とご支援をよろしくお願い申し上げます。 ◆新春対談の様子は、東近江スマイルネットで放送します。(15分番組)  1月1日(祝)7:30、13:00、18:00 1月2日(土)10:30、15:30、20:30 1月3日(日)7:30、13:00、18:00  ※1月4日(月)〜10日(日)も放送します。 ※詳しい放送予定は、東近江スマイルネットの番組表をご覧ください。