フォトニュース ひがしおうみ東西南北 季節の話題をお知らせ! 10月8日 聖徳太子ゆかりの社寺 夜空の天空に光放つ  来年の聖徳太子薨去1400年の節目に合わせた観光キャンペーンを盛り上げようと、東近江地域2市2町(東近江市、近江八幡市、日野町、竜王町)の関係機関で構成する聖徳太子1400年悠久の近江魅力再発見委員会では、聖徳太子にゆかりのある4つの社寺でライトアップを行いました。  本市では、太郎坊宮(小脇町)でレーザーサーチライトの照射や夫婦岩のライトアップが行われ、多くの人が暗闇に浮かぶ幻想的な太郎坊宮の写真を撮るなど秋の夜を楽しみました。  太郎坊宮を訪れた上野谷つかささん(中野町)は、「いつもと違う太郎坊さんを見ることができました。これからも四季折々の太郎坊さんを楽しませてほしい」と期待を寄せました。 10月2日 日本画材に触れるワークショップつらなるモビール作り  日本画を「描く」のではなく、日本画の絵の具で「遊ぶ」感覚で楽しめるワークショップが中路融人記念館で開催されました。今回は、市内外で活動する美術作家・藤野裕美子さんを講師に迎え、日本画の絵の具で色を付けた紙と球形のモチーフを組み合わせたオリジナルのモビール(室内用の装飾品)を作りました。  まず、日本画材の特徴や洋画材との違いなどを教えてもらい、早速モビール作りを開始。この日は、「岩絵具」と「水干絵具」を皿の上で接着剤となる膠と混ぜ合わせて使用しました。  花や空をイメージする人もいれば、ただただ思いのまま色を落とす人もいて、十人十色の個性的なモビールができ上がりました。  彦根市から参加した佐々木淳子さんは、「中路融人画伯の絵を観たいと思って調べたときに偶然見つけたイベントでしたが、とても面白かったです」とほほえみました。   10月27日 県内初 日本スポーツグランプリ受賞を報告   本市陸上競技協会の会長を務める小林優さん (83歳)が、今年16回目となる日本スポーツ協会の 「日本スポーツグランプリ」を県内で初めて受賞されました。  今回の受賞は、@八日市市民体育大会に第1回から連続出場し、5,000メートルで19連勝、A2018年国際ゴールドマスターズM80クラス (80-84歳)の400メートルで金メダルを獲得、B2020年の年間走行距離3,227キロメートルなどが評価されました。  小林さんは、「これからも故障のない体を目指し、一緒に走れる仲間を大切にしていきたい」と力強く語りました。 10月8日 職人の技を体感 奥永源寺 匠の祭  木地師文化発祥の地である奥永源寺地域の筒井神社(蛭谷町)周辺で、「奥永源寺匠の祭」が開催されました。  木地師とは、轆轤で木から椀や盆などを作る職人のことです。平安時代初期、惟喬親王が轆轤技術をこの地域に伝えたことが始まりとされています。また、この地域は、令和元年5月に一般社団法人日本森林学会から「木地師文化発祥の地東近江市小椋谷」として県内初となる林業遺産の認定を受けるなど、その地域資源が注目されています。  祭では、木地師のほか陶芸やガラス工芸など約20人の作家や職人による作品の展示販売や木地師による足踏み轆轤の体験会も行われ、来場者は秋晴れの一日に匠の技を体感していました。  米原市から訪れた速水恭子さんは、「自然の中で色んな作家さんと触れ合え、楽しく贅沢な時間を過ごすことができました」と満足気でした。 10月16日 大正時代の音色を楽しむ Fujii イン・ヒュッテ JAZZコンサート  五個荘近江商人屋敷藤井彦四郎邸の山小屋(ヒュッテ)に展示しているピアノを使い、関西で活躍するJAZZピアニストの杉山悟史さんとJAZZボーカリストの島谷理子さんを招いたコンサートが公益社団法人藤井協成会と協力して開催されました。  このピアノは、大正11年に近江商人・塚本信三が当時の五個荘南小学校へ寄贈し、100年にもわたり愛されてきたもので、国産のピアノとしては最も古い時代のものです。  訪れた皆さんは、近江商人の歴史と文化が色濃く残る藤井彦四郎邸で大正時代の音色を楽しみました。  夫婦で来場した村田麻実さん(山上町)は、「ピアノの音色とボーカルの迫力がマッチした素晴らしいコンサートでした」と笑顔で話しました。 11月4日 新たな形を表現 二五八ウィークを開催  公益社団法人東近江青年会議所は、昨年に続き、例年と同様の二五八祭の開催は困難と判断。今年は、二五八祭の想、童、商といった広場の要素を取り入れた第45回二五八祭を 「二五八ウィーク」として、11月1日から5日まで開催されました。  事業の一つである二五八お墨付きグルメ創出事業では、地元食材を使った弁当が市役所などで販売され、多くの人が買い求めていました。  二五八祭委員会商部会長の深田弘則さんは、「今年は、コロナ禍でもできる新たな二五八祭の形を表現させてもらいました」と思いを語りました。