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天台宗 湖東三山 釈迦山 百済寺

[2018年12月19日]

ID:9878

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緑に染まる階段

新緑の百済寺 石段

 百済寺は、湖東三山の一つで、重厚な石垣に覆われ、最後の山城とも呼ばれる趣を今に残す寺です。日本の紅葉百選・近畿五大紅葉にも選ばれ、秋になると多くの観光客でにぎわいます。
 寺伝によれば、推古天皇十四年(606年)に聖徳太子が建立したといわれています。かつて聖徳太子が瓦屋禅寺(建部瓦屋寺町)から東の山中に光を放つ霊木の杉を見出し、立ち木のまま刻んだ十一面観音(植木観音)を囲むようにお堂を建てたのが始まりといい、朝鮮半島の百済の龍雲寺にならって寺を建てたため百済寺といいます。
 織田信長の焼き討ちにより寺は焼失しましたが、この十一面観音は持ち出され、今も内部の厨子に秘仏として安置されています。



庭園がライトアップされ、紅葉と緑葉が照らし出されている

紅葉の喜見院の庭園

 鈴鹿山脈を借景とし、大きな池と変化に富む巨岩を配した庭園として名高い「喜見院の庭園」で別名「天下遠望の名園」と称されています。


緑葉樹の中にたたずむ仁王門。大きなわらじがかけられている

仁王門と大草鞋

 苔むした石段の参道の先に、仁王門と大草鞋(おおわらじ)が見えてきます。仁王門の正面に吊り下げられた大草鞋に触れると身体健康・無病長寿のご利益があると古くから伝わっています。この大草鞋は、平成30年10月に地元の老人会により8年ぶりに新調されました。


本堂に続く石階段を下から写した写真

本堂

 仁王門を過ぎると本堂に至ります。この本堂は、入母屋造、檜皮(ひわだ)葺き。明応七年(1498年)に火災、文亀三年(1503年)に兵火をうけ、元亀四年(1573年)には信長の焼き討ちによって全山焼失しました。その後、江戸時代初期の慶安三年(1650年)に再興されました。中世以来の密教仏堂の形式を残しつつ細部には近世的特質のあらわれた建築で、平成十六年(2004年)に重要文化財に指定されています。


笑顔の住職。眼鏡の老人

濱中亮明住職

 濱中亮明住職は、「釈迦山百済寺という寺院の名称は、仏教の寺院に付ける称号である山号にお釈迦さんの『釈迦山』、仏教を伝えた国を寺号に『百済寺』として名付けられたことが自慢です。語り伝えによれば、創建のときに聖徳太子が近江にも仏教の拠点をつくりたいとこの地から天下を遠望されました。また、織田信長も天下布武を掲げてこの地から天下を遠望したと言われています。本市は天下を遠望できる人を輩出できる土地柄ではないかと思います。今後も三方よしの精神を持った天下を遠望できる人が、この地から出てほしいと願っています。また、東近江市には、市民の皆さんが、普段、気付かなかったり、忘れられたりしている宝物がたくさんありますので、再発見してほしい。本市の魅力を発信できるよう、百済寺がもつ歴史とロマンをもとに協力させていただきたい。さらに、豊かな自然や奥深い歴史文化を愛する人に、この地を訪れることで少しでも癒され、長く滞在していただきたいと思います」と話されます。


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