ガリ版と堀井新治郎
ガリ版印刷とは?
堀井新治郎父子によって開発された印刷技術。ヤスリの上に原紙をのせて、その上から鉄筆(鉄のペン)で文字や絵を書くと、原紙に小さな穴があきます。原紙の上からインクをのせると、インクが穴を通り抜け、書いた文字や絵が紙面に印刷されるという仕組みです。


ガリ版の発明者 堀井新治郎父子
堀井新治郎父子は、毛筆が主流であった明治27年、大量に同じ文章を簡易に印刷する印刷機の研究に財産を注ぎました。エジソンの発明した印刷機を参考に、鉄筆による簡易印刷機を考案し、「謄写版(とうしゃばん)」と名付けました。
ガリ版の発明は、明治期の印刷手段の一大革命となり、大学や商社、官庁、新聞、通信社が率先して使用しました。また、事業が拡大するに伴い、改良·工夫を加え、上海を始めとする海外への市場を拡大していきました。
発明家·事業家として活躍した堀井新治郎父子、初代新治郎名義の発明登録数は60件、2代目名義は488件にのぼります。
堀井家年表
| 西暦 | 項目 |
|---|---|
| 1856年 | 9月16日、新治郎(元紀)、賀輿丁(がよちょう)村(竜王町)で生まれる。 |
| 1875年 | 8月13日、耕造(仁紀)、岡本村(旧蒲生町)で生まれる。 |
| 1883年 |
新治郎(元紀)、堀井家に耕造(仁紀)の養父として迎えられる。(堀井家38代目を相続、旧姓菱田) 堀井家は旧家で、代官職もつとめ酸造業も営んでいた。 |
| 1893年 |
1月、新治郎(元紀)は官職を退き、耕造は三井物産を退社、簡便な印刷機の研究に精進する。 3月、新治郎(元紀)は簡易印刷機開発勉強のため米国シカゴ万博に出発、エジソンの発明した印刷機ミメオグラフなどを視察。 4月、留守を預かる耕造(仁紀)は、家族を伴い上京。神田鍛冶町で研究に没頭する。 |
| 1894年 |
1月、新治郎親子、謄写版(鉄筆製版)を発明する。 7月、新治郎親子、東京神田鍛冶町で謄写堂を創業。 |
| 1895年 |
3月12日、謄写版原紙に特許を受ける。 日清戦争の軍事通信に採用され、大量の注文を受ける。 新治郎親子、販路拡大のため全国行脚。 |
| 1896年 | 官庁・大学・商社・新聞・通信社が謄写版を使い始める。 |
| 1897年 | 記念博覧会(京都)で賞杯を受ける。 |
| 1899年 | 原紙に高知産の雁皮紙を使用、海外への市場を拡大する。 |
| 1904年 | 新治郎(元紀)は鎌倉に隠居、耕造(仁紀)が全般業務を継承する。 |
| 1910年 | 堀井輪転謄写機(第1号単胴式)を完成、特許を受ける。 |
| 1911年 |
謄写堂、上海出張所を開設。以後、京城·・天津・漢口・南京・北京と出張所を開設する。 |
| 1914年 | タイプライター用原紙として、ミリアタイプ印版紙を開発。 |
| 1915年 | 謄写堂、「堀井謄写堂本店」と改称。 |
| 1917年 | 新治郎は元紀と改名(60歳)、耕造が新治郎を襲名する(41歳)。 |
|
1927年 |
堀井謄写堂、タイプ原紙(コロジオン)を完成する。 |
| 1932年 |
堀井超紀元式謄写版を発売する。 7月19日、堀井謄写堂創業者堀井新治郎(元紀)死去(75歳)。 |
| 1950年 | 堀井新治郎、東京都の発明功労者として表彰される。 |
| 1962年 | 2月15日、堀井謄写堂2代目新治郎(仁紀)死去(86歳)。 |
| 1985年 | 8月「ホリイ株式会社」に改称。 |
|
1987年 |
ホリイ株式会社、謄写版生産を中止する。 |

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