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地元学をはじめよう その2 「記録映画で地元学」記録映画「椿山 焼畑に生きる」上映会と対談 (2006年10月7日(土) 永源寺公民館ホール)
モンゴルと比較してそれともう一つ『椿山』の感想としては、どうしてもモンゴルと対比してしまうんですけれども、僕が一年間撮った場所っていうのは、ゴビアルタイ山脈の、ずっと砂漠の中にゴビアルタイ山脈が西の方からずっと延びてきて、その山中にある60家族ですね。東西40km、南北20kmぐらいの広い山中にわずか60家族なんですね、住んでいるのは。そして、椿山みたいに緑がないんですね。ほとんど樹木の生えない、降水量が年間150〜200mmぐらいですから、樹木の生えない山なんですね。山っていっても日本の山と全然違うんです。日本の場合は森ですね。ところが、モンゴルの場合は、要するにはげ山ですね。わずかな、ちょっとある草ですね、まばらに生えた草を山羊・羊の群れを200〜300頭を移動させながら食べさせていくわけです。 そして、山羊がたんねんにわずかな草を食べていくわけですけれども、その山羊が朝家を出ていくと、夕方日が落ちるとまた帰ってくるわけですね。この群れが。そうしたらそこでまた搾って。朝行く前に搾って、夕方帰って来るときも搾るというふうに二回搾るわけですけれども、それをまた乳かくをチーズ、ヨーグルト、いろんなものを加工するわけですけれど、今日見とって豆腐見たら、あれはモンゴルのチーズだなあと思って、そういう感じがしました。学生も言ってました。アーロールっていうチーズなんですけれども、これは豆腐と共通しているねと言ってました。製法までね。作業の仕方とかそういうのも似ているんですね。 どうもあれを見るとみなさんホッとするみたいで、なんででしょうね、乾燥しきった草のない所で、緑のない所で生活していますから。ただね、大きな違いは何かというと、大地と人間の間に羊とか山羊とかの家畜の群れがおるんですね。人間、それから家畜、大地となっているんですね。人間は中間に家畜をおきながら、家畜が草を食べて、それを家畜は乳をつくり、肉をつくり、毛をつくる。そうすると、わずか40kgぐらいの山羊・羊の体重、これが小工場でですね。この小工場が肉をつくり、乳をつくり、毛皮をつくり、これをやっちゃうんですね。これを300頭ないし500頭ぐらい群れにして移動させますから、そうすると原料は運ぶことないんですね、移動していって草を食べるわけですから。で、それを食べて歩きながら、今言った乳と肉と毛皮をつくってくれる。300〜500くらいある小工場を移動させてやっているわけですね。 そうすると、見ていると椿山の作業とモンゴルの遊牧民がやっている作業とでは、格段の差があるわけですね。エネルギーの放出の仕方が。これをまず実感として感じたんですね。だから、非常に緑が少なくて、降水量が少なくて、大変な所で、冬はもう寒い。零下ひどい時には30度ぐらいになるんですね。そういう厳しい所で、それから吹雪に遭うとかね、大変な自然の厳しい所であるけれども、一方ではそこには日本とはちょっと違う利点もあるわけですね。だから、その気候とかその時代に合ったような、人間は何百年何千年という歴史で編み出してきた技術体型というのを持っていて、その暮らしのあり方の中で、人生観というのを持っているわけですね。そして、何か喜び、生きている喜びっていうのを感じながら生きているっていうね。この点では全く共通している、違いがない。そういうふうに感じました。 椿山は、本当に惚れ込んでしまったんですね。僕は、あれを見ながらね。あれをたとえばモンゴル人に見せたらどう言うかっていうことをね。僕はモンゴルから来ている留学生を大君ヶ畑、今住んでいる所に連れて行ったんですね。あそこへ連れて行くと、鈴鹿山中、芹川と犬上川の流域、もう廃村になった所があるんです。過疎になって、もうさっき言いましたように、老人ばっかりですね。保月(ほうづき)なんかはもう90の方が寒くなったら野に下って人口がゼロになるわけです。昔は神社もお寺もありましたから、ちゃんと集落として機能しとったわけですね。それが今はそういう状況。 そういうのは、もう彦根から車で20分ぐらいで入れる山の中に点在しているわけですよね。それは椿山が、ああいうものが、我々の滋賀県の身近な所にあるんですよ。都市からちょっと行った所、彦根からちょっと入った所にあるわけですね。それは放置されているわけです。で、もったいないという言葉がありましたけれど、これほどもったいないものはないなと。
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