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地元学をはじめよう その2 「記録映画で地元学」記録映画「椿山 焼畑に生きる」上映会と対談 (2006年10月7日(土) 永源寺公民館ホール)
モンゴルと椿山、肉体労働の違い小貫:モンゴル人は昔みたいに寝たっきりで介護の施設があってというようなことではなくて、ぽっくり逝くんですよね。そんな長く患っている人は少ないですね。それは体を絶えず動かしているためではないかと思うんですよね。 会場から2:食べもののせいじゃなくて? 小貫:食べものは、これは医学的にどうなのかということは突きつめて考える必要があると思うんですけどね。結局モンゴル人は肉食が中心というふうに誤解しているんですけれど、乳製品なんですよ。肉を食べるということは家畜をつぶすということですから、 姫田:財産を食いつぶすわけだ。 小貫:そうすると、工場をつぶしちゃうことですね。乳をつくる製造も、毛皮も肉製造もね、その工場をつぶすっていうことですから、できるだけ乳を加工するんですね。その点では椿山と比較するとあれだけの肉体労働を注ぎ込むっていうことはあまりやらないですね。ただ寒さがひどいとか、雪が大雪になってそこから脱出しないといかんとか、大変な問題はありますけれど、どっちかっていうと体をそれほど酷使する、酷使するに近いエネルギーの放出ですね、椿山の場合はね。それはものすごく対照的ですね。 姫田:まあこれは椿山の人にあらためて聞いてみないとね、「つらいですか」とか「酷使してますか」とか聞いてみないとね。つまり、簡単に言いますとね、僕は椎葉のお医者さんに衝撃的に教わったことがあるんです。60年代に。「寿命と栄養は関係ないよ」と言われたんですよ。というのは、寿命の長さでもって何かを測ろうとするそういう量的な働き方は、一つのものさしとしてありますよね。ありますけど、僕なんかがフィルムで接してきた僕自身も含めての年代なんですけど、やっぱりそれだけではない生命力といいますか、生命的ななにか心の働きと生き方と生き甲斐、生き甲斐といってもうれしいうれしいと言ってるんじゃないんですけどね、そういう支え方がありますね。それをもっとうまく表現できないかなあともだえるんですけどね。
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