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地元学をはじめよう その2 「記録映画で地元学」記録映画「椿山 焼畑に生きる」上映会と対談 (2006年10月7日(土) 永源寺公民館ホール)
古来からの海と森の循環をとりもどす姫田:鈴鹿山中を背負って、琵琶湖に臨んで、水が流れていくその流域全体を一連とした東近江市が登場したわけですから。そうすると今日の町村合併なんてプラスもあるけどマイナスもいっぱいあるわというような時代ではあるけれど、ある一つの非常に合理的なと言っていいような自然条件の地を新しく生み出していると考えることができると思うんです。 小貫:僕はね、今言われた一市六町ね、東近江市ね。八日市を中核都市として能登川から永源寺までね。これは古来ずっとあった海と森を結ぶ流域地域なんですよね。それで、山のものを下へ持って行って、野のものを上へ持って来て、ものの循環と人の循環があってずっと来たわけでしょう。それを高度成長期にわずか20年ぐらいで断ち切っちゃったわけですね。森の中は過疎が急激に進む、高齢化も進む。平野部にみんな集まってしまうというね。この形が今できたわけで、これを戻して行くためには、山の方からがんばらんとね。 山の方ががんばろうと思ったら森を、日本の場合だったら山っていうのはモンゴルのはげ山じゃなくて森、森林地帯をどうするかっていう問題ですよね。僕は『森と海を結ぶ菜園家族』っていう本を2年ほど前に書いた時に、一つの例として尾根伝いのね、僕がおる所は犬上郡なんですけれどもね、彦根があって… 姫田:こっちは何郡ですか? 小貫:郡は何ですかね? (会場から:神崎)神崎ですね。 姫田:あ、神崎。 小貫:そうすると、犬上郡は芹川と犬上川の流域が中心なんです。それでできあがっているんですね。これは一市三町になるんですか? 一市三町になっているわけです。で、人口が13万ぐらいになりますかね。こちらは11万ですか? 東近江市の場合ね。大体似たような人口ですよね。それで、犬上郡の中の鈴鹿山中が今言ったように、過疎になってダメになっているわけですよ、みんな。 姫田:こっちは? 屋根伝いに集落を結ぶ酪農ベルト地帯小貫:こっちは、神崎郡はまだ大丈夫なんですかね? それは後からまた聞きたいところですね。(会場から:かろうじて)かろうじて(笑)。全部過疎になって、廃村になったり、もう寸前なんです。僕が住んでいる大君ヶ畑なんかは40戸あるけどももう10戸ぐらい空き家ですわ。そのうちの一つを借りたんですけどね。この間仲良くしとった80何歳のおばあさんが亡くなって、今はおじいさん一人ですわ、僕の前の家ではね。おじいさん、もう本当に寂しがってますわ。そういう状況ですね。それを放置しているんですね。もったいないですね、これもね。 放置している過疎の集落を蘇らせるには何かっていうとやっぱり森林をとにかくどうにかして活かさないといかんですよね。その時に、いろいろ過疎の集落がありますよね、麓に。それを上がると尾根伝いがあります。それをずっとつないでいくと、40kmぐらいでつながるんです。40kmですよ。こうぐねぐねしていますけれど。そうするとそこの上を若干伐採して、そこにゴルフ場をつくるぐらいはできるはずなんですよね。そこに山羊とか羊とかね、牛とかね。その過疎になった麓で朝搾乳しますよね。そうしたらこれは群れで管理するわけですよ。そうすると、搾乳されたらずっと山を上がって行くわけですよ、群れで。尾根伝いにずっと行って、夕日が落ちる頃には、ずっとまた元に戻ってきてまた搾乳すると。ここでチーズをつくったり何かすればいいんですよね。この過疎になった集落で。それを僕は高原ベルト地帯と言っているわけですけれども、尾根伝いのね。そこに全部過疎の集落が結びつくようになるわけですよ。これ、僕は空想で本に書いたんですけれども、 姫田:でも、空想でなくても、次は具体的に、もう本当にね、その発想で交流してください。今の出雲の、山地酪農(やまちらくのう)という言い方をしているんです。「さんちらくのう」と言わないんです。山というのを「さんち」だとか森や林を森林と言ったり、概念化しちゃって分かったようになっているのはあかんで、もう一回これ砕き直さなって。それで、一回「山ってなんじゃあね?」とかね、そういうことをやらないかんですが。 今おっしゃっている放牧っていうか、少なくとも牧畜っていうか牧場のつくり方にしても、今僕が接している出雲の地域は、そんなに広い40kmなんてそんなぜいたくな! もったいない(笑)。(会場笑)そんなものではない所で非常に質の高いあり方を今具体的に実践していますから、交流して教え合うといいですね。 小貫:僕は朝から晩まで。 姫田:あんたみたいな人がいるから、やりやすいわけ、土地の人がいるから。そして、こういうインテリゲンチャが入ってくる、そこが非常に重要ですよ。それで、出雲と交流したら、あれ? 古代がつながっていったところだから。え? 百済寺も神埼郡でしょう? 小貫:そうです。(会場から:愛知郡(えちぐん)!)愛知郡ですね、愛知郡。 姫田:すみません。つまり、湖東地帯というのは、奈良や京都の兵站基地じゃないですか。食糧を与えたのはここですよ。ここがなかったら、奈良の都も京都の都もできへん。だから大きな寺がいっぱいあるじゃないですか。 小貫:話を戻してね、尾根伝いベルト地帯でやると、非常に単純化して今言ったわけですけどね。それをやると、今山に入るということは、全部人工林でしょう? 暗いでしょう? 行ったらね、とげとげしているし暗いですよね。ぼうぼうですよ。だから、そういう状況の中で、なかなか若い人が入ろうとしないんですよね。ここに八日市の池田設計事務所の方が近くの木を使って家を建てようというのを根気よくいつもFAXいただくんですけどね。左官屋さんから池田さんみたいな建築家からいろんな人が集団をつくって今がんばってやっているわけですよね。いかにして放置された森林を活かしていくか。そういう動きとか、今言った牧畜を加味していくような高原ベルト地帯とかね。そういうものを噛み合わせながらやったら21世紀はものすごく明るいと思うんですよね。 姫田:そうじゃないでしょうか。また、そう考えないとやりきれんですもんね。 小貫:そうです、そうです。 姫田:死にきれませんよ、いや本当に。なんぼチーンとやってくれてもうれしくはないですよ。 小貫:ちょうど70代だけがこうやってがんばっているという… 姫田:この人の方が大分年下ですけど。でね、もう一つ、僕は酪農を通じてですね、実践家もおられるし、向こうの出雲の人たちはものすごい実践家たちですから、それが古代の歴史を踏まえてますよ、戻ってますよ、ぐーっと。 たとえば、この間こんな例がありますので、一つの例をレポートします。今それを一生懸命蓄積している最中なんです。乳牛を飼っているんですけれど、1haあたりに2頭います。そんなもんです。草は全部輸入の草じゃないです。その土地の山の草です。そしてね、牛のくるぶしぐらいに育ったものを食べさせるって言うんです。そういう芽生えてくるっていうか、くるぶしぐらいに育ったものって言いますよ。僕はそれを聞いた途端にね、「あ、お茶摘みやってもらってるんですね」って言ったんですよ。つまり、牛にお茶摘みやってもらってるんだねって言ったんですよ。つまり、草の成長点、成長の時期に一番力があるわけです。僕らみたいなのはもう力がありませんよ。子ども生めって言ったって生めませんよ。 小貫:いや、まだ分かりませんので、がんばってください。(会場笑) 姫田:つまり、その成長点を食べることによって生命活動を最も旺盛に持続させます。その持続力、回転のさせ方を非常に考えていますよ。これは奈良京都の、つまり醍醐の時代の近畿地方の核心の辺りの人も、実はそういうことをやり始めていた気配があると思います。それをどういう方向か分からないけど、農耕民だ農耕民だって、動物は忘れろって。 でも、実際に農家の人たちは牛馬と自分の家族同然の気持ちで一緒に暮らしていましたよね。それは僕らの体験にはありますよ。それをそのように学者に向かってこう言ってるんですけど、学問がそれを律しなかった。歴史家も、政治家も、という意味で、やっぱり捨てて行った、切り捨てて行ったものが無数にあると。特に大事なものは、自然の循環というか、日本列島の循環に対応した生命の持続と育ち方というのをどうやるか、そこのところの基本的な観点をだんだんだんだんなくしていって、量的に何かが広がっていけばまかなえるみたいな、量的な感覚。だから、水田が猛然と広がるという。当然。だって一番広がるようにしつらえているのが水田ですから。 椿山の場合には、終戦後、戦時中にあそこは食べものに困らなかったんです、実は。町の方はものすごく困っているんだけど、あそこの人は自分で自給体制をとっていますから。だけど、試みとして水田をつくろうとした。ところが水が冷たすぎてついにできなかった。そんなことがありますので、酪農はすべての土地でできるかっていうと、それもそんな単純なものではない。
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