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人と自然を考える会
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地元学をはじめよう その2

「記録映画で地元学」 

 記録映画「椿山 焼畑に生きる」上映会と対談

(2006年10月7日(土) 永源寺公民館ホール)
講師:姫田忠義 小貫雅男

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チーズづくりと豆腐づくり

姫田:地球規模という意味で、私も一つね、先ほどの大豆で豆腐をつくるのが、あ、すみません。

小貫:なんかお酒飲むみたいな…(会場笑)これはお酒ではありませんので。

姫田:フランスのピレネー山脈のバスクの人たちにあれを見せました時にね、チーズづくりと豆腐づくりはある。

小貫;そうね、言ってましたか、そういうふうに。

姫田:僕はそういう番組をつくりましたよ。

小貫:ああ、そうですか。

姫田:そこに介在させるのは、凝固させるんですが…

小貫:胃の中の液をね。

姫田:特に小動物の、反芻動物の、小さい子どものじゃっさーという言い方をした。豆腐のにがりもそうですね。そういう何か中間項を投入することによって、物質的な状態変化を起こすという共通項があると、植物であれ、それが動物のおっぱいであれ、そこにある種の共通の状態のものを生み出すという知恵があるんだろうと。

 先生がおっしゃる、ああ、「先生」はやめたやめた、小貫さんのおっしゃる地球規模の話として考えるということはとても我々を解放しますよね? たとえば豆腐づくりは豆腐づくりだと考えておりますと、豆腐でもう固定してしまうんですけれど、それをチーズづくりと共通性があると僕も思って、そういう撮影もし、放送のための番組をつくったりもしましたけれど、そうすると今度は日本の古代と言いますか、日本の歴史で醍醐という、醍醐の問題が僕らはほとんど意識しないで暮らしておりますけれど、あれはチーズですよね。

小貫:そうですね。

農耕民族一辺倒に押し込められてきた歴史

姫田:で、天皇の名前にまで醍醐という名前が二人もわざわざ出てきているわけですから、そういう意味のことだと思うんですけれど。ではそれがその時代に登場してた。それはモンゴルとかユーラシア大陸の先祖たちが来たと思うんですよね、それを醍醐という表現で受け取って定着させていると思うんですが、それが何で極端に言えば、日本に酪農でなくて、農耕民族一辺倒のような解釈を日本の歴史家たちも国家体制のつくり方も、そういう風にしていってしまったか。そういう論理の進め具合が、実は山の中で狩猟行動をしたり、日本列島の中に様々な多彩な条件を持っていますから、多彩な生業のたて方があって、その中には有畜の酪農というか、動物と一緒に暮らして動物の体の恩恵をいただくということを知らないわけじゃなくて、知っている。そういう歴史のある時点があるのに、どんどんどんどんそれを狭めて農耕民だけだみたいなものに持って行った。

 たとえば木地師の世界ですね。木地師さんの世界というのをものすごい特殊化しているんですよ。これはね、本当にもう、もっとふっくらとね。人間の生命活動というのはね、もっと総体的でふっくらしていますわ。

小貫:僕はね、先生が今言われたことをお聞きしてね、今までのいろんな疑問が整理できたんですよね。要するに、農耕に全部狭めてきたと。それは国家体制かなんか知らんけれども、そういうふうに押し込んできたわけでしょ。そのために、日本では牧畜業がほとんど発達していないですね。戦後で言えば、高度成長期の減反をやった時に農水省があわてて酪農っていうことでやったわけですよね。一時期乳量が溢れちゃって低下した北海道の方なんかでは、バタバタと倒産したというのが、80年代には相当ニュースで出ましたよね。

 ああいう、要するに非常に人工的な、鉄骨でつくった所に入れて、狭いところで搾ってね、乳だけを明治乳業とか森永とかそういう大手に乳を売るだけ、加工しない。あれは酪農ではないんですね。乳売りですよね、単なる。それを酪農と言っているんだけれども、酪農は発達していないわけですよね。これがなぜかということ。

 今、姫田さんの方から聞いてハッと思ったのはね、やっぱりそういうふうに押し込んできた歴史があったのかなと、「農耕だ」とね。僕は自然的ないろんな条件があって、ここでは発達しなかったっていうふうに一時思っとったんです。それを非常に疑問に思うようになったんですね。

 それは、僕は沖縄で上映会をやった時に行った時にね、沖縄の島々で、竹富島でもどこでも山羊が大活躍していますよ。高温高湿でしょう、沖縄は。山羊は乾燥地帯のものだと言われているからね。それで日本列島では山羊とかそういうものを飼って酪農が発達しなかったんだというふうに思いこんでいたら、どうも沖縄を見ると違うんですね。そうしたら、日本でも飼えるはずだし、飼ってる所はあるんです。終戦、戦前とか戦中は飼ったんですからね。

 今でも僕の知り合いで南アルプスで小林俊夫さんという方がおりますけれど、山羊と牛を飼って、チーズをつくっているわけですよ。わずかな山羊と牛ですよね。今まで同じように乳を売っとったんだけどもこれではいかんということで、50歳になってからチーズづくりを、ゴーダチーズを学びにスイスに留学したんです。それで、それを覚えて帰ってきて、自分の所で廃校になった校舎の木材でね、チーズをつくる場所をつくって、宿泊所までつくっちゃってね、それで一つの完結した世界をつくっているわけです。立派に酪農をやっているわけですよ。だから、酪農ができないというふうにあきらめたらいかんのではないかというのが一つあってね。姫田さんがそう言われたことで、これはちょっと自信がわいてきたんですね。

姫田:まあ、そうですか。

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