「平成の氏子駈・氏子狩復活事業」アンケート調査、全国の木地産地訪問の報告
「平成の氏子駈・氏子狩復活事業」について
本市は、ろくろを用いて椀や盆、こけしなどの木工品を加工、製造する職人である「木地師(きじし)制度発祥の地」として長い歴史があります。そのような歴史文化を活かし、平成29年度、全国各地の木地師にゆかりのある皆さんとのネットワークの形成や木地師文化を活用したまちづくりを検討しています。
そこで、平成28年度に「平成の氏子駈・氏子狩復活事業」として、木地師と関連があり、本市の永源寺地区(蛭谷町、君ケ畑町)と縁が深いと言われる皆さんを対象に、今後、本市との交流の可能性などについて把握するため、アンケート調査を実施しました。また、全国の木地産地を訪問し、地域の状況や東近江市との歴史的つながりなどについて聞き取り調査を行いました。
アンケート送付の対象者
「氏子駈帳・氏子狩帳」に記載されていた以下の人
- 全国の「小椋」姓と「大蔵」姓の人
- 福島県南会津郡の「星」姓、「菊地」姓、「室井」姓、「玉川」姓、「佐藤」姓、「渡部」姓の人
- 長野県の「堀川」姓の人
NTTハローページ(2015年または2016年発刊)に記載された情報をもとに6,355人に送付しました。
アンケートの結果について
アンケート実施時期:平成29年2月
アンケート回収数:1,655件 回収率:26.9%
1 「木地師」を知っていましたか。
- 知っていた。 1,399人(84.5%)
- 知らなかった。 229人(13.8%)
回答者の8割以上の人が木地師をご存知でした。
2 滋賀県東近江市を知っていますか。訪れたことはありますか。
- 訪れたことがある。 312人(18.9%)
- 知っているが、行ったことはない。 672人(40.6%)
- 知らなかった。 652人(39.4%)
回答者の2割弱の人が東近江市を訪れたことがあり、4割の人が訪れたことはないがご存知でした。
3 「木地師」との関わりや本市の永源寺地区に縁があるというお話を聞かれたことがありますか。
- 知っていた。 350人(21.1%)
- 聞いたことはあるが詳しく知らない。 425人(25.7%)
- 知らない。 862人(52.1%)
回答者の2割の人がご自身と木地師や永源寺地区との関わりをご存じで、3割弱の方が詳しくは知らないが聞いたことがあると回答されています。
回答者の姓ごとに見ていくと、「小椋(小掠)」「大蔵(大藏)」姓の人は、3割がご自身と木地師や永源寺地区との関わりをご存じで、3割強の人が詳しくは知らないが聞いたことがあると回答されました。
4 今後、東近江市から「木地師」に関するお知らせを希望されますか。
- 希望する。 1,042人(63.0%)
- 希望しない。 472人(28.5%)
その他
- 自由記載欄には、多くの人から地域の木地師や姓に関する情報をいただきました。
- アンケート以外に、木地師に関する書籍や資料を数多くご提供いただきました。
全国の木地産地訪問について
平成28年12月から平成29年3月にかけて、木地師が活動している地域や木地師に関する施設・団体(博物館、資料館、組合など)を中心に、全国16か所を選定し、聞き取り調査を行いました。
訪問したところ
- 福島県福島市土湯温泉町
- 福島県南会津郡南会津町
- 神奈川県小田原市
- 新潟県糸魚川市
- 富山県砺波市庄川
- 石川県加賀市山中温泉
- 長野県木曽郡南木曽町
- 愛知県豊田市足助町
- 滋賀県高島市朽木
- 和歌山県海南市
- 香川県さぬき市
- 鳥取県八頭郡若桜町
- 岡山県真庭市郷原
- 岡山県津山市
- 岡山県美作市
- 大分県中津市山国町
「平成の氏子駈・氏子狩復活事業」レポート
木地師とは
文徳天皇の第1皇子惟喬(これたか)親王が近江国小椋ノ庄(現在の東近江市蛭谷町、君ヶ畑町)に居をかまえ、ろくろによる木地製作の技法を、家臣であった小椋大臣実秀と大蔵大臣惟仲に伝授したのが木地師の始まりといわれています。
氏子駈帳・氏子狩帳とは
「氏子駈帳・氏子狩帳」は、木地師が住んでいる地名や人名などが列記された冊子で、江戸時代の木地師の様子や全国の木地師の分布と移動の様子などを示す貴重な資料です。
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