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人と自然を考える会
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地元学をはじめよう その1

「心象図法で地元学」

(2006年9月30日(土) あかね文化センター小ホール)
講師:上田洋平

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「住む」が「澄む」になる生き方

 このことに関して、今朝もちょっと思い出していたことがあるんです。民俗学者の柳田國男という人が、こんなことを申しております。「村を美しくする計画などというものは、昔、もともとはなかったのであって、実は、よい村が自然に美しくなってきたのではないかと私は考える」。つまり、上から村を美しくするためにこういうことをしましょう、こういうことをしましょう、という計画が与えられるのではなくて、そんなものはなかった。むしろ、よい村、よい生活、毎日誠実にその地域で生きてこられた、地域とつきあって、地域の自然環境と関わりながら生きてこられた、その結果が美しい村になっているのではないか。こういうことを言っているんです。

 どうしてこれを思い出したか。今朝、「お話せんならんなあ、どんなことをしゃべろうかな」、と考えていたんですが、私、金魚を飼っております。火鉢の中に水を入れて、金魚を飼っておったんです。その金魚に教えられたことがある。何を教えられたか。

 金魚を飼う前にハスを見たいなと思って、私、昭和51年生まれで今年30歳なんですけれども、ある意味、年寄りくさいといったら変ですが、火鉢の中に睡蓮を入れて花を見ようと思っていた。で、火鉢に睡蓮だけ入れてしばらくしておいたら、火鉢の中の水がものすごく汚れてきたんです。なんや藻みたいな汚いものがいっぱい生えてきて、汚なくなってきた。これ、どうしようかなと思って、ちょっとそこへ金魚を入れてみた。すると、それまでとっても汚なかった水が、だんだん汚れなくなってきた。きれいになってきた。金魚を2,3匹入れておいたら。

 ああ、これはどういうことだろうと。私、そこから教えてもらった、金魚に教えてもらったことは、住むということは、ひょっとしたら生き物、生命がそこで生きている、住んでいるということは、その場所そのものが何か美しい秩序を持つようになる。美しく澄んだものになっていくのではないか。こういうようなことを金魚に教えてもらった。

 そのことを、今朝、金魚に餌をやりながら思い出させてもらった。その金魚に餌をやりながら、住むということは、本来、しっかりそこに根づいて生きて、自然と関係を持って生きておれば、その地域、その生活というものもとても澄んだ美しいものになるのではないかということを思った。で、柳田國男は、村を美しくする計画などない。よい村が自然に美しくなってくるのである。そういうことを言うておったわけなんです。

 おもしろい詩がありまして、川崎洋という人が、まあ名前はどっちでもいいと思うのですが、こんな詩を書かはった。短い短い詩です。

 人ごみから 人が消えると ごみが残った

 こういう詩を書いております。今、人間の生活、私たちの生活、ひょっとして、もしこのまま地域のエネルギー、資源を使い果たして、好き勝手にやった後、人類は滅ぶかもしれない。そのあと地球に何が残るか。ごみが残るかもしれない。

 でも、金魚なんか見ておりますと、生き物というのはちゃんときれいに生きているんですね。住んでいるということは地域が澄む。「住む」が「澄む」になる。そういう生き方をしている。人間も本来、そういう生き方をしておったのだろうと。まあ、えらい余談のようなところにいってしまいましたが、そういうことなんです。そういうことを考えている。そういうことを考えているといっても、また余計分からなくなってしまうということになるかもしれませんが、本来持っている地域の知恵というものはそんなものではないかと、私、今まで勉強させてもらって思っている。

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