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地元学をはじめよう その1 「心象図法で地元学」(2006年9月30日(土) あかね文化センター小ホール)
記録を絵にするのも地域の中でで、ここからなんですが、この冊子ができた。記録ができた。普通、これまで大学とか研究というと、ここまでで終わりなんですね。記録できました。これを伝えていきましょう。ここからいろいろな論文を書きましょうということで終わりなんですが、それでは本当に地域のことを地域の人と考えて、若い世代とつないで豊かにしていくことができるだろう、そう思った。みんなで老若男女、誰もがそれを見ながら地域のことを考えられる。これだと、地域にお返ししても、読むの大変。子どもたちなんか、さらに読まない。 どうしようって考えたときに、じゃあ、絵にしたらええやないかと。さっき、思い出から地図ができましたね。それと同じ要領で。あれも、一つ一つ絵になっていたらおもしろいだろうなと思った。それで絵にしてみようということになった。 絵にするときも、地域の人と、何を絵にしていけばいいんだろう。いろいろ体験はあるけれど、本当に大塚なら大塚、鋳物師(いもじ)なら鋳物師、その集落で絵にして残しておいたらいいのは何だろうという、優先順位を決めていきます。それを地域の方々と決めていく。私たち、大学の者は判断がつきかねることもある。地域の人たちとそれを考える。 そして下書きをしていく。それも、地域の人に見てもらいながら、この道はもっとこうだったよ、この木はもっとこんな大きさやったよとか、そういうのを確認していく中で、地域の人たち自身も自分たちの地域を見直していく。 絵を描く人も、できれば地域の人の中から。案外、いらっしゃるんです。学校で美術の先生だった。それを退職された方。公民館で絵の勉強をされている方。そういう方にお願いして、一緒に絵を描こうじゃないか。そういうことをやっています。 そしてできれば、これなどは使いやすいように表装をしているわけです。これがそうです。これが先ほど出た今津町の方のものなんですが、ここでは若い人が、今度の場合は「人と自然を考える会」のみなさん、蒲生野考現倶楽部のみなさんが中心になってやられる。若い人たちが、じゃあ絵にしていく作業を手伝おうと。何を絵にしようかな、構図はどうしたらいいかなということを考えながら、下書きをしていく。 下書きができたら、それをみんなに集まってもらって確認をしてもらう。「ここはこんなにしたらええよ」「ここはこんなんがええよ」。これは地域の人でしかわからない。ほんの10年違うだけで変わったりする。つくりながら、若い人は、「俺もうここに40年住んでいるけれども、やっぱり60の人が知っていることは知らんかったなあ」ということがあります。 昔は、同じ田んぼを耕して、同じ生活をしておれば、どんな苦労があったかって自然と体で伝わっていくものでした。想像もできる。大変だっただろうな。しかし、今、頭で習うだけではわからない。けれども、こういう作業をしながら、そういうことにも、知っていると思っていたけど知らんのだなということにも気づく。再発見していく。 これもそうです。ずっとこれも同じです。修正をしていきます。何回も見てもらって直していく。 これは地域の絵師の方。これは今津の、まさにそこの集落のお寺の副住職さんがたまたま中学の美術の先生で、「ああ、俺、描いたろ。自分の集落やし」ということになった。そうやってできていくのが、この絵図でございます。これが心象絵図とか、ふるさと絵屏風と言うてるものなんです。 絵図はこんなふうに中にはどんな絵が描いてあるか。今日お持ちしましたのは、これは田舟に乗ってカーバイトでこう照らして、魚を押し網で獲っているところ。浜に桟橋が出ていて、釜を洗っていると魚が寄ってきて、それを捕まえたら味噌汁くらいにはなった。朝ご飯くらいにはなった。筏が流されていた。脱穀したな。そういう絵が描いてある。 これはまた別の集落。西万木(にしゆるぎ)という扇骨(せんこつ)の集落。これは山の方の集落で、マキノ町で国境という所がございます。国境スキー場、福井県との境。 これがさっき、今津でできたもの。副住職さんが描かれただけあって、お寺の花頭窓みたいになっています。このお寺は曹洞宗、禅宗なのですが、どういうわけか密教が好きというお坊さんで、密教いうたら天台とか真言なんですが、そのお坊さんで、曼荼羅みたいになっている。月と太陽が出ていまして、ここ、自分のお寺なんです。副住職さん、最初、自分のお寺、ものすごく大きく描かはって、見直しのときに、あまりにこれは大きすぎるのではないかということで、しぶしぶ小さくされて今の大きさになった。 そういうことを地域でやりながら、我々の地域はどうだろう。並べ方を考えよう。子どもたちに伝えやすいのは、時計回りで春、夏、秋、冬と描いてみたらどうだろう。そういう工夫をみんなで相談しながら、「ああ、自分たちの地域はこんなんだったのか」「こういう美しいこともあったのか」「こういう大変なこともあったのか」というようなことをしていく。で、表装などをしてできていくというわけなんです。
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