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地元学をはじめよう その1

「心象図法で地元学」

(2006年9月30日(土) あかね文化センター小ホール)
講師:上田洋平

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体験を通して自分たちの身識を組み立てる

 ですので、繰り返し申し上げますが、書物だけでは得られない、生きた認識、本当の意味での知識。今、言われている知識というものが、実は、本来はみんなが体験を通して自分の力で組み立てていかなければ、あるいは地域の力で組み立てていったものであるはずなんだけれども、今、考えられている知識というものは、どうも頭だけのものになっていないか。それをもう1回、知識と身識を足した常識として復活させよう。本当の意味での知識をつくろう。それを集めよう。そのきっかけをつくろうということ。あるいは、身識というのは、技、生きていく、生きる力。生きる技としての身識というもの、認識があるんじゃないかな。このものは食べられるとかそういうことに始まって、いろいろある。

 もうここではくどくど紹介しませんが、身識というものを私は言っています。これまでにもいろいろな言葉で言われています。生活の中の知恵、生活知。経験の中の知恵、知識。実践する、生活実践の中で生まれてきた知恵、実践知。体で覚えている知恵。暗黙知というのは、言葉にできないけれども重要な認識の仕方。たとえば、自転車の乗り方というのは一種の身識と考えてもいいかと思います。

 身識ということで、どんな言葉が考えられるか。「私、これ身識持ってるな」「これは身識やな」「身識が豊かになってきたな」「お前ら若いもん、知識ばっかりやろ。俺は知識も身識もあるんやぞ」と、そういうふうに使っていただきたい。

 あるいは、ある学者は「具体の科学」ということを言っています。これは、先ほど言ったように、うちわをつくるために、生きるために竹が分類されていく。この竹はこうで、この竹はこう。そういう具体的な科学を「具体の科学」。そういうのが、この辺は別に覚えてなくても、今日は身識だけ、私の身識だけ覚えていただければ。そういうのがあると。

技があるから創造力が働く

 一人一人の生身の体験から地域を考えていく。それはひいてはいろいろな意味での創造力。この間、竹カゴの職人さんに話を聞いた。見ていたら、「今はこんなんでつくってんのや」といって、ビニールの荷造り紐でカゴをつくってきはった。僕ら、ビニール紐からカゴができるなんて思わないですけれども、その人も、竹でカゴを編む技術というものがちゃんとあるんですね。材料やものだけなんぼあっても、それを見て、「あ、これがつくれるな」という創造力を働かせることができるのは、自分たちに、料理でも何でもそうです。料理できる技がある。身についた技がある。竹のカゴを編む技がある。ワラジを編む技がある。技に基づいて、これはこんなんに使えるという創造力もできてくる。そういうふうなことだと思うんです。

 本当に、創造力はいろいろある。お年寄りの体験を聞く。昔、戦争があって、防空壕に逃げた。「機銃掃射がありました。大変でした」と教科書では習う。こういう作業を通してお年寄りから話を聞くと、ある人が言わはった。「昔、江若鉄道に乗って、どこか工場に奉仕に行く時に機銃掃射があった。私、席の真中に座っていた。両側の人は窓から撃たれて、胸を撃たれて、ちょうどここに当たって死なはった。私、命からがら飛び出して、川に飛び込んで、橋の下に隠れて助かった。けれども、あの時、私は、ひょっとしたら座る場所が違ったら死んでいたかもしれない」と、涙を流してしゃべる。子どもたちは、実はその涙を見て、「ああ、戦争というのは辛いものなんだ」と。文章を読んで、辛いものだと思うんじゃないのではないかと。今、その目の前の人が話しておられる。話しながら笑っておられる。「ああ、こんなに楽しかったんだ」「こんなに大変だったんだ」「こんなに辛かったんだ」。その涙を見て、体験する。そういう学びということを、もう1回、甦らせようというようなこと。

一人一人の身識を活かしてこそ地域がよくなる

 ですから、今、手順をいろいろ言いました。細かいことも言いましたし、抽象的なことも言いましたけれども、地域学というのは、地球の未来をつくっていくんだけれども、基は何か。基は何かというと、みなさん一人一人の生活であって、一人一人の体験、これが積み重なって地域の知恵というものになり、地域の生活というものが成り立つ。その知恵に基づいた生活が、先ほど言いました、住むというのが澄むという。村を美しくしていく。そういうことになっていくのではないかと。

 だから、そのためには、うどん屋さんしか知らないことがある。うどん屋はうどん屋にしかわからないこと。布団屋は布団屋。農業をしている人、田んぼにいる人。一人一人の体験を無にしない。それを活かしていく。そういうのが地域学でもあるかな。その重要性をみなさん共有していただいて、ぜひ、地域学と言っても難しいことじゃない。「私は地域についてそんな教えられるようなことはない」と思わずに、私はこう感じた、こう見た、こういう体験をしてきた。どうぞ、しゃべっていただきたいと思うんです。たくさん。それが、次の世代の知恵になっていくと私は信じております。

 身識というものの重要性をもっと考えて、身識というものをみなさんから伝えていただきたい。私の身識はまだまだ足りない。大学生の身識なんて本当に足りない。やっぱりそれは、生きてきた日々、歴史の中で培われてきた、それを紹介していただきたいなと思うんです。

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