トップ

講演記録このサイトについて

人と自然を考える会
所在地
滋賀県東近江市八日市金屋2丁目6番25号
東近江市立八日市図書館内

TEL:0748-24-1515
FAX:0748-24-1323
 
Home >> 講演記録 >> 上田洋平


地元学をはじめよう その1

「心象図法で地元学」

(2006年9月30日(土) あかね文化センター小ホール)
講師:上田洋平

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18 19

地域で話して気づいた体験の多様性

 で、そういうよく分からない地域。これでまたよく分からなくなると思います。そういう地域をどうやって見つけるか。本を読んだらアホになりますよと、私の先生がおっしゃいました。自分は本をたくさん読んでいるくせにですね。どうも上田というのは本を読んだらそれに影響されるから、本を読んだらあかんぞ、自分で考えろと。で、私、いろいろな人にお会いして来ました。地域に行って、主にたくさんのお年寄りとお話をしてきた。その中で気づいたことがある。

 うちわの職人さんのところにお話に行きました。「おっちゃん、うちわに使う竹ってどんなんがええの?」「教えたろか」と。それは香川県の丸亀市という所。うちわの竹の90%をつくっている。そこへ行くと、「あのなあ、うちわに使う竹はなあ、マダケいう種類の丸3年から5年経ったのと、条件がようけつくよ」と。それだけじゃない。「池のぐるり50〜100mの両端にある竹はすべてダメ。これは水分を吸いすぎて柔らかい。その次、民家があるわなあ。民家のまわりの竹やぶ。この竹は、家の人が研ぎ汁を捨てたりなんかして、肥やしをやったのと一緒。ほんなら、竹が肥満の竹になっとるよ。見た目は一緒。けど、中で身が締まっていない。同じマダケ。科学で調べたら同じマダケかもしれない。学名は一緒。けどもな、わしらがうちわを使う身になって考えたら、マダケというてもぜんぜん違うマダケなんや。これが羊羹の容器をつくるんやったら、どこのマダケでもよいわな、別に。ちょっと食べたら、もうそれは捨てたらええんや。そやけども、うちわというのはずっとあおいで使わんならん。虫が食ったらあかんな。割れたりしたらあかんな。どこのがいいかというと、四国には大窪寺といって、八十八ヶ所のお寺がある。あの周辺の痩せた土地の厳しい所で育った竹はうちわにちょうどよい。ただ、場所はそこでも季節がある。梅雨から8月はあかんぞ。冬の寒の頃の竹じゃないとあかんぞ」。

 こういうことを職人さんが教えてくれた。ハッとしました。こんなのあたりまえのことだとみなさんは思われるかもしれませんが、その当時、20歳そこそこの私です。ああ、竹って同じようにマダケっていっても使う人によってぜんぜん違うんだな。何に使うかによってぜんぜん違うんだな。そうか、その人がどういうふうに使うか、これが身識か。こういうのが身識だなというふうに思うわけです。

 そうすると、しかし、ひょっとしたら一人一人見ているもの、全部違うんじゃないか。一人一人やっている仕事も違う。背負ってきた生活も違う。歴史も違う。その人たち、どういうふうに地域を見ているのか、また分からなくなっていく。じゃあ、もう一人一人の人に、どういう体験をしてきましたかということを聞こう。どういう体験をしてきたか聞こうという時に、人間が世の中と触れ合う、環境と触れ合う最初の入り口はたぶん五感ということ。この目で見て、耳で聞いて、舌で味わって、肌で触れ合って、鼻で嗅いで、そうやって人間は環境と最初に出会う。これを聞いていきましょうということになりました。

←前のページへ 次のページへ→

▲ページトップ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18 19