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地元学をはじめよう その1

「心象図法で地元学」

(2006年9月30日(土) あかね文化センター小ホール)
講師:上田洋平

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今在家の絵図の絵解きをしてみる

 ちょっとビデオを見ていただきたいと思うんです。見ていただきたいと思うのですが、出ますかね。出ませんので、後まわしにしまして、実は、絵解きというのはどんなものか、知っていただこうと思います。

 絵ができたら活用する。その時にどんなことをするか。絵解きをします。これは普通、集落のお年寄りの方にやってもらうのですが、今日は私が代りにやってみたいと思います。今日は小道具を忘れてきてしまいまして。普通は・・・・・(しばらく、マイクなしで話。聞き取れません)・・・・・音楽とかかけてもいいと思います。遠いですので、また終ってから近くで見ていただきたいと思います。

 まあ、拍子木をこう(カン、カンと鳴らす)。

 さあ、みなさんお立ち会い。これからご覧いただきますのは、滋賀県は高島郡安曇川町大字四津川字今在家の昭和30年前後の暮らしの物語でございます。こちらに描いてございますのは琵琶湖でございます。こちらに描いてあるのが集落、そして内湖がございます。内湖の後ろに田んぼが広がっておりまして、向こうには蛇谷ヶ峰(じゃたにがみね)とかそういう山並みが見えております。

 こちら、ずっとご覧いただきますと、たとえばこちらには、先ほどもちょっと言いましたが、桟橋が出ておりまして、桟橋の上でお母さん、お釜を洗っております。お釜を洗っていると米粒がこぼれて、小さな魚がやってくる。その魚をちょっと手でつかんで家に持って帰りますと、お味噌汁くらいにはなったのでございます。

 この集落、細いところにございますが、その裏に内湖がある。この内湖、松ノ木内湖と申します。こちらの内湖は梅ノ木内湖と申します。梅ノ木内湖は戦争中に、食糧増産で干拓のため、今はもうございません。今はポンプが残っているばかりでございます。

 松ノ木内湖に目を移していただきますと、松ノ木内湖と今申しましたけれども、集落ではこれをカヤという言葉で申しておりました。そして、舟が着いております。これは田舟と申します。田舟は、集落から田んぼへ行くときに、当時は車の通れる道はほとんどありません。川を伝って自分の田んぼへ行かれる。その時に鍬(くわ)などの道具を乗せ、あるいは稲を持って帰る、そういう用途に使うのが田舟でございました。田舟に奥さんと一緒に乗っていく。棹差し3年、櫓は3月と申しまして、棹の方が難しかったということでございます。

 また、こちらにちょっと目を移していただきますと、その家の裏には、カワトと言わはりますが、舟が泊めてありまして、その上に乗って子どもが顔を洗っている。かつてはこの内湖の水はとても美しかったので、朝起きたらその舟に乗って、顔を洗い歯を磨いて、飲み水もすくって飲んだ。今はちょっと考えられないことですが、そういう様子がございます。

 ちょっと目を上に移すと、タライの舟に乗って菱の実を採って食べているという、こういう様子が映し出されております。これも、昔はおいしかったけれども、今はどうもそんなに味がないようやけれども、昔はものがなかったからおいしかったなということをおっしゃいますね。今、おいしくないのは、ひょっとして歯が弱ったからじゃないのかということを言わはる方もあります。

 ご覧いただきます。舟でずっと田んぼにまいりますと、田んぼの中で作業をしております。足踏み脱穀をしている人がいる。そしてこれは、稲刈りをしている人。稲を刈って田舟に積んでおります。子どもが畚(ふご)に入っております。田んぼの脇の木の下に、畚に入って子どもが泣いているのかもしれない。昔は、田んぼが忙しいから、子どもを畚の中に入れて、たすきがけにして家の中に置いておく。おばあさんがいはると面倒を見てくれますが、誰もいないときは家に置いておく。たすきでかけて、うろうろせんように。おしっこしてもそのまんま。賢い子は、たすきがけされたグルグル巻きを取って、歩き回っておった。それで、お母さん帰ってきたなと思うと、畚に入って自分でたすきをした。賢い子がおったもんや。それで辛抱強なったなあ。「畚から見ていた梁の天井の黒いのをよう覚えてる」とか言う人もおられましたが、本当か嘘か。今だったら児童虐待で捕まってしまうかもしれない。しかし、辛抱強い子が育ったんですね。

 こちら、その辛抱強い様子が書いてあります。田舟に乗って、箕笠をつけて、田舟の中に座ってお弁当を食べている風景。その上に雨が差しかかっている。これを集落の人は雨の茶漬けと言いました。なんでこんなことになったか。昔、道がない。この今在家という集落は自分のところの田んぼはこれだけしかなくて、よその田んぼに耕しにいかんならん。ちょっとでも出物があると、そこを買って田んぼを増やしてきた。今は小川の中では二番目くらいに田んぼが多いのですが。遠い所まで耕しに行かんならん。舟で行かんならん。舟で通っていると、昼に帰ってきていたら時間がもったいない。で、お弁当を持って行く。お弁当を持って行って、田舟の上で食べるんだけれども、稲刈りの秋頃になると、高島時雨という時雨が降ってくる。しかし、小屋も何も立っていないので、雨がボタボタ入るのも構わずに食べたから、雨の茶漬けと言うたんやと、こういうことを言っている。

 またちょっと見ていただきますと、今在家という所は非常に蔵が多い。これはどうしてかというと、やはり遠くまで行かんならんので、今在家に火事があったら戻ってきてはいられないので、燃えても大事なものは燃えないように、蔵に入れてある。それで、今在家は今、蔵の町とも言われているんだというふうに、こういうことがある。

 こちらでは、田舟に乗って夕涼み。さすがにあの舟に慣れた所。昼間になるとのんびりとそういうふうに休んでいるという風景もありましたし、五月になると、春になると、ここら辺でも餅を食べたり、みんなでわいわいしながらということもあったんだろう。今在家では、舟に乗っていると、昔は何も娯楽がなかったので、子どもがたくさんできたというようなことが言われております。こんなん言ったら今在家の人にしかられるかもしれませんが、舟の子やというふうに言われております。また、隣には野小屋がようさんある集落があって、あそこは野の子やとか小屋の子やとかいうのがある。

 まあ、そういう話をずっとしていくわけですね。これを、今私がやっておりますけれども、集落のお年寄りの人が、自分の創意でやられる。あるいは、お年寄りから話を聞いて、子どもがやってみる。そうやって楽しみながら地域を学ぶというのが、ひょっとしたらできるんじゃないかな。難しいことじゃない。基はみなさんの経験なんです。それをもう一度、どうやって見直すか。それを老若男女でどうやって見直すか。そういう方法だというふうに私は思っている次第なんです。

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