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地元学をはじめよう その1

「心象図法で地元学」

(2006年9月30日(土) あかね文化センター小ホール)
講師:上田洋平

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身識を学び、地域で考える心象図法の方法

 そういう前提がありまして、では、その身識を発見して地域を考えていくにはどうしたらいいか。地域の人と、地域の現場で、地域のことを一緒に考える、行動していくにはどうしたらいいかということを、ヒントとして私が考えた方法がございます。それが、心象図法というものになっていくわけでございます。

 ここからは前をご覧いただきたいと思います。

 そうは言っても難しいような気がするな。どうやってそれを達成したらいいのかなあということで、心象図法ということを、私、考えさせていただきました。心象というのは心のイメージですね。心に浮かぶ印象、それを図にしていく方法。それによって地域の暮らしを描いたり、解釈して、解いていこうということでございます。

 心象図法というのは、人々の五感体験に基づきまして、地域の暮らしを一枚の心象絵図に描き出す。地域を表現。それをつくる過程を通して地域を知る、伝えていこうという方法でございます。老若男女、誰でも参加して、いろいろな世代が地域を語ることができる。そういう方法はないかという実験でございます。

 大まかに言いまして、工程が四つありまして、五感体験アンケートというものを一つやります。それから、聞き取り調査と聞き書き集の作成が二つ目。三つ目は心象絵図を作成してまいります。絵図の活用が四つ目。できた絵図をどう使っていこうかということが、肝腎のところでございます。

 まず、五感体験アンケートというものをいたします。地域を学ぶとか、地域を知る、地域を描くとき、じゃあどうやってその情報を集めようかなと。あるいは身識というものから考えるにはどうしたらいいかな。ちょっと想像していただいてもわかると思いますが、地域を考えるといったって、地域ってそもそもなんだろう。地域社会、地域の文化、地域の活性化、地域とついた言葉がいろいろございます。そしてそれが指す範囲、アメリカというのも地域なら、ヨーロッパというのも地域という言葉を使います。アジアも地域なら、日本も地域。そして、日本の中でも滋賀県も地域、八日市も地域、蒲生も地域、それからこの日野とか、そういうのも地域。地域という言葉を本当に考え出したら、どこまでが地域で、どういう範囲でどういうものか、得体がしれなくなります。それについて考えるというのですから、なかなか難しい。

地域と人間との関係

 で、地域を考える時に、そういうのをずっと、私、大学に入ってから研究室で、地域って何だろうとずっと考えてきた。よう分からへん。地域の範囲もよう分からへん。何だろう。どんなものなんだろう。地域と人間の関係ってどんなものなんだろう。こういうことをずっと考えてきました。いまだによくわかりませんが、ある時ふと思ったこと。本を読んで気がついた。読みます。道元禅師という鎌倉時代の禅宗の曹洞宗を開いたお坊さんがこんなことを言ってはる。これは地域と人間の関係だろうなというふうに思います。

 「魚水を行くに ゆけども水のきはなく 鳥そらをとぶに とぶといえども そらのきはなし しかあれども 魚鳥いまだむかしより みづそらをはなれず ただ用大のときは使大なり 要小のときは 使小なり かくのごとくして 頭頭に 辺際をつくさずといふことなく 処処に 踏翻せずといふことなし といへども 鳥もしそらをいづれば たちまちに死す 魚もし水をいづれば たちまちに死す 以水為命しりぬべし 以空為命しりぬべし 以鳥為命あり 以魚為命あり 以命為鳥なるべし 以命為魚なるべし」

 ここで言っているのは、魚が水の中を行くけれども、どこまで行っても水のキリがない。鳥が空を飛んでいる。どこまで行っても空は続いていて、キリがない。そういう状態で、魚も鳥も昔からずっと水と空を離れたことはない。ただ、その生き方、使い方が大きかったら、水の世界というものは大きい。空の世界というものも広い。そういうものだ。そういうふうにして魚も水の中をどこまでもゆく。鳥も空をどこまでもゆく。そういうふうにしてある。けれども、魚が水を出たらたちまち死んでしまうではないか。鳥が空を出る、どういう状態か。まあ宇宙にでも行ってしまえば、たちまち死んでしまうではないか。だから、魚は水を以って命と為す。鳥は空を以って命と為す。空と鳥は同じ命を一つ分け合っている。水と魚も同じ一つの命。そういうことを言うている。

 これが地域と人間の関係ではないか。今生きている世の中と私たち一人一人の関係ではないか。そういう状態なのに、水はどれだけ広いか、空はどれだけ広いか。それを計って、それを見た上で、空を飛ぼうとして空を出てしまった鳥は、たちまち窒息して死ぬ。自分の池はどれだけ広いかなと思って、飛び上がって上まで行って見ているうちに魚は死んでしまう。学問というのはそういうところがあります。地域を考えるという時に、地域で生きている現場を離れて、離れて離れて遠くから地域を見るということがある。けれども本当の関係は、そこに生きて、地域と人は命を分け合って生きている。

隔てる輪郭線、与え合う輪郭線

 これで僕がハッとしたのは、道元さんは何百年か前に鎌倉でこういうことを考えた。同じようなことをやはり僕も考えていたわけです。それが、五番に紹介しているのですが、これも地域と人間の関係ではないかと。みなさんがどう思われるかわかりませんが、大学の二年生の時に、こんな詩を書いて県の文学祭に出したら、特選をもらったんです。それ以来、これ以上のものは書いていないのですが、読みますね。みなさんもよく考えて、想像していただきたい。

 「鉛筆で 魚の輪郭を書くと 魚のまわりに水ができる 鉛筆でミミズの輪郭を書くと ミミズのまわりに土ができる 雲を書くと 空ができて 星を書くと 闇ができる 魚と水と ミミズと土と 雲と空と 星と闇と 片方だけを書いたつもりが もう片方も知らずに生まれ 輪郭を書くことは 違うものを分け隔てることではなくて 輪郭を書くことは 違うものが一緒に生まれてくること 魚と水と ミミズと土と 雲と空と 星と闇と どちらがどちらの輪郭なのか 魚と水と ミミズと土と 雲と空と 星と闇と 与え合って つくる輪郭」

 これを、道元さんのを読む前に考えていたんですね、私。たいしたもんだなと自分で思うんですけれども、ああ、ありがとうございます(笑)。どうも地域のことを考えていると、こういうことがあるような、世界と人間一人一人の世間とはそういう関係があるのではないか。これ、子どもが絵を描くのを見て思った。魚を子どもが描くと、このまわりはあたりまえに海になっている。もうセットで考えるしかない。だから、輪郭線というのは、魚と海を分けるものでもあるけれども、それだけではなくて、同時に互いを生かしあうもの。

 これを地域ということで考えますと、世界を考えますと、先ほどグローバリゼーションということを言いましたけれども、たとえば国境線というものがあります。朝鮮なんか北と南に分かれていたりしますが、この一本の線をどう考えるかということが、究極的に地域と人間を考えるということ。ちょっと余談で哲学っぽいところに行きますが、この一本をここに引いたことで、AとBの対立が生まれたと見るのか、AとBがともに生まれたと見るのか。

 人間の都合で国境線が引かれております。国境線が引かれると、AとBの対立が起こる。しかし、本当に地域の範囲とはそういうものだろうか。いろいろな命、いろいろな国、いろいろな文化がこの線を境に接して互いに行き合う。そういう線も引けるのではないかというようなことを考えているわけなんです。大変余談に飛びましたけれども、そういう部分もある。

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