野口謙蔵(のぐちけんぞう)ってどんな人?

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ページ番号1006880  更新日 令和7年1月6日

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野口謙蔵(のぐちけんぞう)は、明治(めいじ)34(1901)年、いまの東近江市綺田町(かばたちょう)で造(つく)り酒屋(ざかや)を営(いとな)む裕福(ゆうふく)な家の次男(じなん)としてうまれました。

絵(え)をかくことが得意(とくい)だった謙蔵は、東京美術学校(とうきょうびじゅつがっこう)[いまの東京芸術大学(とうきょうげいじゅつだいがく)]を卒業後(そつぎょうご)、ふるさとに帰(かえ)り、画家(がか)となりました。

その後(ご)、謙蔵のかいた絵は高く評価(ひょうか)され、国が主催(しゅさい)する帝国美術院展覧会(ていこくびじゅついんてんらんかい)で入選(にゅうせん)3回、特選(とくせん)3回を受賞(じゅしょう)しました。

謙蔵は、ふるさとの風景(ふうけい)を好(この)んで多くかき残(のこ)しました。3回目(かいめ)の特選作品(さくひん)であり、謙蔵の代表作(だいひょうさく)の一つである「霜の朝(しものあさ)」は、国が購入(こうにゅう)し、いまは東京の国立近代美術館(こくりつきんだいびじゅつかん)に所蔵(しょぞう)されています。

洋画(ようが)に日本画(にほんが)の様式(ようしき)をいかしながら、独自(どくじ)の作品を次々(つぎつぎ)と発表(はっぴょう)し、また、文部省美術展覧会(もんぶしょうびじゅつてんらんかい)の審査員(しんさいん)になるなど有名(ゆうめい)になりました。

昭和(しょうわ)19(1944)年に43才(さい)の若(わか)さで病気(びょうき)で亡(な)くなりましたが、いまは滋賀県を代表(だいひょう)する洋画家(ようがか)のひとりになっています。

写真:野口謙蔵記念館、館内展示の様子


写真:泉水
泉水
写真:冬日
冬日

野口謙蔵記念館

場所(ばしょ)
東近江市綺田町(かばたちょう)442
電話(でんわ)
  • 野口謙蔵記念館 0748-55-3836、IP電話:050-5801-3836(土曜日・日曜日のみ)
  • 近江商人博物館 0748-48-7101、IP電話:050-5802-3134
開いている日
土曜日・日曜日の午前10時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
(ただし年末年始は休館です)
入館料
小・中学生100円(80円)、一般200円(150円)、大学生・高校生150円(100円)
( )内は団体20名以上料金

このページに関するお問い合わせ

文化スポーツ部博物館構想推進課
〒527-0023 八日市緑町27(旧東近江農業管理センター)
IP電話:050-5801-0525 電話:0748-24-5574
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