野口謙蔵(のぐちけんぞう)ってどんな人?
野口謙蔵(のぐちけんぞう)は、明治(めいじ)34(1901)年、いまの東近江市綺田町(かばたちょう)で造(つく)り酒屋(ざかや)を営(いとな)む裕福(ゆうふく)な家の次男(じなん)としてうまれました。
絵(え)をかくことが得意(とくい)だった謙蔵は、東京美術学校(とうきょうびじゅつがっこう)[いまの東京芸術大学(とうきょうげいじゅつだいがく)]を卒業後(そつぎょうご)、ふるさとに帰(かえ)り、画家(がか)となりました。
その後(ご)、謙蔵のかいた絵は高く評価(ひょうか)され、国が主催(しゅさい)する帝国美術院展覧会(ていこくびじゅついんてんらんかい)で入選(にゅうせん)3回、特選(とくせん)3回を受賞(じゅしょう)しました。
謙蔵は、ふるさとの風景(ふうけい)を好(この)んで多くかき残(のこ)しました。3回目(かいめ)の特選作品(さくひん)であり、謙蔵の代表作(だいひょうさく)の一つである「霜の朝(しものあさ)」は、国が購入(こうにゅう)し、いまは東京の国立近代美術館(こくりつきんだいびじゅつかん)に所蔵(しょぞう)されています。
洋画(ようが)に日本画(にほんが)の様式(ようしき)をいかしながら、独自(どくじ)の作品を次々(つぎつぎ)と発表(はっぴょう)し、また、文部省美術展覧会(もんぶしょうびじゅつてんらんかい)の審査員(しんさいん)になるなど有名(ゆうめい)になりました。
昭和(しょうわ)19(1944)年に43才(さい)の若(わか)さで病気(びょうき)で亡(な)くなりましたが、いまは滋賀県を代表(だいひょう)する洋画家(ようがか)のひとりになっています。


野口謙蔵記念館
- 場所(ばしょ)
- 東近江市綺田町(かばたちょう)442
- 電話(でんわ)
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- 野口謙蔵記念館 0748-55-3836、IP電話:050-5801-3836(土曜日・日曜日のみ)
- 近江商人博物館 0748-48-7101、IP電話:050-5802-3134
- 開いている日
- 土曜日・日曜日の午前10時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
(ただし年末年始は休館です) - 入館料
- 小・中学生100円(80円)、一般200円(150円)、大学生・高校生150円(100円)
( )内は団体20名以上料金
このページに関するお問い合わせ
文化スポーツ部博物館構想推進課
〒527-0023 八日市緑町27(旧東近江農業管理センター)
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