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地元学を知る 「地産地消で地域の再生を」地元学であるものさがし (2006年10月9日(月・祝) 愛東福祉センターじゅぴあ)
弥生時代の家族の田んぼこういう田んぼはいろいろ教えてくれるわけです。これは青森県の田舎舘村という、ここに岩木山、向こうが日本海です。ここに、こう夕暮れですが田んぼがあります。今も耕しています。この田んぼの下にもう一つの田んぼがあります。今から2300年前の田んぼです。弥生の田んぼがあります。東北には弥生時代に田んぼはなかったというのが定説です。弥生と言うか。田んぼが出来るようになったのは鎌倉時代だというのが、考古学のある時期までの定説でした。それが20年前、この下に道路を造るために掘ってみたら出てきたわけであります。 これが、弥生の水田跡が出てきました。大きさはちょうど手を広げれば届く、一坪、畳1枚2枚分のこういう田んぼが何枚も何枚もあります。1500枚ぐらい出てきました。これもまた、私は家族の田んぼだと思っているんです。弥生の時代の家族が、自分たちの家族のために育てていた田んぼであります。この田んぼには、560ほどの足跡が残っていました。ちょうど今頃の稲刈りの時期、今日どこかちょっと忘れましたけど、「抜き穂」の神事を見学させていただきました。お母さんたち、おばあちゃんたちが赤いたすきでこう、稲を刈っていました。歩いたところに足跡がついてました。同じのが今から2300年前の家族の田んぼを、12人の家族の足跡が、小さな子どもの足跡もあれば、おばあちゃんのもあれば。おじいちゃんのもあれば、それぞれ大きさが違う12種類の足跡がついてるそうであります。これを家族の田んぼだな、と僕は思ってるんです。 食べると耕す食べるということは、まず、耕すということから始まったわけですね。あるいは、作物を採集するという。ファミリーという言葉があります、英語で。これは家族と訳されています。ラテン語ではファミリアという語であります。そっから英語が生まれていきます。ファミリアという言葉の英語の語源を同じくするもう一つの言葉は、ファーマーという言葉なんです。ファミリーとはファーマーと同じ語源から出てきた言葉なんだ。そうすると、昔、家族のことを一緒に耕すものたちと受けとめていたに違いない。そして一緒に食べるものたちという意味でファミリーという言葉を、古い時代は、世界はそう呼んでいたはずなんであります。 今私たちは、耕す人と、食べる人の間の距離がどんどんどんどん離れて離れて離れてしまってた所に生きているわけでありまして、そういうことから考えると、もう少し食べる人と、耕す人が、同じ家族でなくても同じ地域で一緒におつきあいしませんか、その方が安心ですね。とか、そうできたらいいね、っていうことを多分、別の言葉では地産地消と言ってるんだろうと僕は思っているんです。なんかそっちの方が儲かるからとか、合理的だとかそんな考える前に、いわば、もともとの大事な食べものの場所に、「僕らも、戻りましょうや」って。そっからもう一度人間が食べていく、生きていくっていうことを考えましょうや、ということを、多分、地産地消という言葉は思っているのではないかなと思うんですね。
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