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地元学を知る 「地産地消で地域の再生を」地元学であるものさがし (2006年10月9日(月・祝) 愛東福祉センターじゅぴあ)
冬こそ楽しもうよ!?東北の祭りと出稼ぎが守ったもの冬に祭りが多いのが東北であります。大雪なのに冬こそ楽しもうではないか、春から冬に入るまでの間、一生懸命働きます。そして冬は縮こまっていません、楽しいことをしよう、愉快なことをしよう。働くだけが僕らの人生ではないんだ。「冬はもう耕せない、だったら楽しもうよ」って。楽しみを求める心が文化というものを生み出します。文化というのは、日本の辞書を引いても、どんな定義を見ても、千差万別で決まった定義にならないでいます。僕はおじいちゃんおばあちゃんと文化みたいな話は…うれしい事、楽しい事、愉快な事、面白い事、こんな言葉でだいたい文化は語ってもいいのかなと思っています。音楽だって楽しいから、美術絵画だって楽しいから文化と呼ばれているんでしょう。食べものも楽しくおいしくなる、それが食文化が上がるということなんでしょう。 ここは「冬は思いっきり楽しもうや!」これは川を渡る梵天という大曲でありますけれども、この内の6割の人はまだ出稼ぎであります。出稼ぎから正月は戻らなくても、必ず2月15日の祭りの時には戻ってきます。出稼ぎは出っぱなしじゃないんです。春に戻ってきます。そして、「かつて30軒あったけれども、今はうちの村は10軒になった」、「じゃ、20軒の村の人たちがかつて持っていた田んぼや畑や山はどうした」、「自分の出稼ぎの金でそれを分けてもらって、二倍にした。三倍にした。だから一丁歩の畑がある、五反歩の田んぼがある、一丁歩の山があるというふうになった」。 ならば、出稼ぎは日本の自然を守ったのではないか。農を守り、自然を守ったのは出稼ぎの人たちによってではないか。そういう側面があるわけであります。そうとらえていかないと。NHKのドキュメントだとか日本の新聞社が、出稼ぎは暗い、つらい、厳しい、悲しい、暗い。こんなふうな言葉でずうっと塗りこめたまんまなんです。 冬こそ楽しもうではないか、それがこういう祭りのときに発揮されます。この祭りには必ず村の人が出稼ぎ先から途中でも戻ってきます。あちこちでこういう梵天なり、あるいは横手のカマクラ、これだってなんか観光行事でみなさんの方には伝わってると思いますが、これお堂なんです。祠(ほこら)なんです。だからここに水神様があります。水で苦しんだから水が安心できますようにというのを、今年の春からの農作業のために祈るわけであります。子どもたちが「甘酒を振舞うから上がってたんせ」ってこうやるのさ。ここにはありませんけれど、ここに本当はお賽銭があるんですよ。お賽銭を上げて水がちゃんと恵まれますようにという、この水神様を拝んで、それで巫女さんに甘酒を振舞ってもらうという、いわば祭りの原形みたいなもの。で、片一方では、こういう梵天を奉納して、神の依り代です。
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