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人と自然を考える会
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地元学を知る

「地産地消で地域の再生を」

 地元学であるものさがし

(2006年10月9日(月・祝) 愛東福祉センターじゅぴあ)
講師:結城登美雄

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北長篠の山焼きの結い

 そういう意味で僕はこれからも小さな集落…たとえばこれは焼畑ではありません、山焼きと言います。これは北長篠というこの村が、12町歩、12haの山を焼くんです。毎年、刈り払って。野焼きに近いようなものかもしれません。これが出来るこの集落のこの16世帯のチームワークです、結いです。だからこんなふうにこう焼いていくわけです。

 これを地球温暖化なんて言うバカが多いんですよ。地球温暖化と言うんなら、この山のCO2と軽自動車の1週間のCO2とだいたい似ているんです。他人のことだけ批判して、なんか環境問題みたいに言うやつ多いけれど、でもこれがあるから仲間の絆になっています。そしてそれがあるからワラビや山菜の本当に活きのいいのがおいしいのが採れるわけであります。

 それで僕はこの町にこういうお互いさまをちゃんと思う56の小さな講があるということを、結いとか講のつながりがあるということが分かって、ここに相談を受けて、「おらんどこ何にもねえ」と、男衆は集まれば愚痴言って、「コンビニもねえんだ、俺たちの自治体には」って。「コンビニできるといい町になるかい?」って言ったら、「ほんなことねえけんども」って。やっぱり東京にあるようなものがあるといい町になると勝手に男は思っていたんですが。

 で、うろうろしたらおいしいもの食わしてくれる、じいちゃんばあちゃんがいたから。男と遊ぶよりはおばあちゃんと遊んだ方が面白いから、で、そそのかして、「ばあさんや、ゆうべ亭主、帰ってこなくて残った食いもの、あれ、梅干とかそういうの」、宮城県が国体でつくったおっきい体育館があるんですよ。一回使ってあと使っていないの。日本中にゴロゴロありますが、あそこにもあんです、バレーコート4面とれるの。「そこに俺らテーブル並べるからよ、持ってきてくんねえか?」って。28の集落、ウロウロ、ウロウロ、俺一ヶ月ぐらいかけてまわったら、「やだよ、そんな、なんでやんなきゃいけね」とかいろいろあったんですが、「まあ、そう言わんでよう、冷蔵庫の余りものを移しかえればいっぺんだろう」って、「普段のもんでええんだ。梅干とか味噌とかそういうもの」って言ったら、「そうかい」って集まった。

「食の文化祭」の1万人

 で、やったのが「食の文化祭」というものであります。こうやってワーッて集まって、1300集まりました、1300品。これの10倍ぐらいウワーっと並んだ時は壮観であります。こういうことで、「おらほんどこは何にもねぇ」って言ったのが1万人も見にくるんですよ。これ詳しくは、後でもし時間があったらやりますが。

北上町のお母ちゃんたちと食育

 こういう海の町、「何にもねぇ」ってみんな、宮城県から烙印を押された、宮城県の北上川河口の町、北上町、人口4000。「あんなの岩手県じゃねえか」ってみんな思っている県内の北上町というとこがあるんですが、そこの所に僕、なんか賞をもらった時に。この木の船、これ1年でカキが育つ、海のカキが育つ、周りの山が豊かな所なんです。カキが、小魚の食物連鎖の世界がものすごくある所です。浦海です。これを大事にというので、たまたま木造船の棟梁が仕事ないんでつくってもらって寄付したやつなんですが、こういうところで食育というものをやりました。

 どうもね、時々間違うのは、県のお役人なんかも、食育ってね、産地の大きい所でやろうとするんです。社会科の勉強ならそれでいいんだけれど、日々の食べものだからお母ちゃんの。で、このお母ちゃんたち13人にアンケートをとったら、全部で売りものは二つ、ワカメとシジミだけでした。だけど、このお母ちゃんたちが家で育てたり採集したりしたのはキノコ、山菜、木の実、畑、川、海、合わせて350種類あったんです。350種類。それを子どもたちにやろうとして、みんなで1品ずつ持ち寄って、これは小さな食育の場です。こういう所に、子どもらが間に入るんですよ。これはお母ちゃんたちが、採ってきたこれを大きい皿でまわして、まわってきたやつを自分の小皿、手塩皿に移して隣にこう。取ってはまわす料理だからなのか「とりまわし料理」とみんなは呼んでいます。

 食育は、もともとは家族の場所にありました。向田邦子さんの小説だって、おやじさんが帰ってきて、「いただきます」とやるわけでしょう。こぼせば怒られるし、残せば殴られるし、食卓が食育の場でありました。長いことそうでありました。そしてたとえば、弁当を持たせてやった子が、いつもは空っぽになって、それでも「腹減った」って戻ってくる子が、弁当開けたらご飯が残っている、おかずが残っている。それを見て母親が、学校で何かあったのか、体調が悪いのか。あるいは普通は3杯も食べる子が今日は2杯で終わった。そんなとこから子どもを気づかい、夫を気づかい、おじいちゃんおばあちゃん、お互い食べものを通じていろんなことを会話を交わし、いわゆるそこが食べる場でありました。食育の場でありました。だからこぼせば、ゴツンとやられ、「米は八十八回手間かかんだぞ、拾え!」とかって言われて、怒られる場所でもありました。「ちゃんと正座して食え」とかね。だって言うじゃないですか、アメリカだって、必ず欧米だって、十字を切って神様に「お恵みを与えていただきましてありがとうございました」というところから食事が始まるのでしょう。

 この頃は「いただきます」もヘッタクレもなくなっちゃって、「おい、こんなの、またおんなじの」とか、なにかブースカ言うみたいな。そういう家族の場所が、かつて5人7人8人10人の家族でいたのが、2人になり1人になり3人になっていくから、家族の力が会話もなくなってバラバラになっていく。ならばもう一つ、それをお店の食卓、外食が補完している。3割が外食ぐらいになっていますから、それでなくてもう一つあったんだって、地域の第三の食卓。みんなで材料を持ち寄り、みんなでつくり、みんなで食べる地域の食卓というのがあったんだ。それならみんなでつくれないだろうかというのが、持ち寄ってきたこういう地域の食卓なんであります。それを並べて見せただけが、いわば「食の文化祭」です。

 それを一歩進めるとこういうふうになります。それで1月から12月まで行事に合わせていろんな食卓を子どもたちと一緒に食べるように。そうするとその間に、漁師さんたちは12月の31日の夕暮れになると、「お世話になりました」と、農具に感謝のお餅をあげるように、漁師さんたちは船やいろんなものに食事を差しあげるわけです。それを家族がみんな持って行って、独り者はどこにもおりますので、独り者は一人で捧げるしかないんですが、そういうふうな中に学ぶものがたくさんあります。こういう所に行けば。

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