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人と自然を考える会
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地元学を知る

「地産地消で地域の再生を」

 地元学であるものさがし

(2006年10月9日(月・祝) 愛東福祉センターじゅぴあ)
講師:結城登美雄

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作物は偉い

会場からA:あの、最後のテーゲーというのが一番大事という話をしてくださって、ちょっと思うところがあって、私の勤めている保育園でここ2年ぐらいにしかなっていないんですけれども、農業に取り組み始めて、僕も家は兼業農家だったんですけれども、全然農業というのやったことがなくて、近々始めたばっかりで、他の農家の人に教えてもらいながらやっているんです。で、子どもたちが、植えた種からいっぱいたくさん芽が出て間引く時に、子どもたちが間違えて全部取っちゃったり、草むしりする時とかも作物をむしってしまったりするんです。他にも種蒔く時とかも深く掘って思いきり埋めちゃったりとか、そういうことをしていて、僕たち保育士とか先生たちはやっぱり「ちゃんとしなさい」とか注意とか、「ちゃんとお話聞いていなかったのね」っていうふうに怒るんですけれど、農家の方というのは「まあまあ、かまへん、かまへん」って。そうなんですね、怒っていたらその時点で面白くなくなってしまうんですね。

 農家の方々は本当に大らかで、「まあまあ、かまへん、かまへん。そんなん出来る、出来る」って言うて、実際そういうので出来た苗もあったし、出来なくても子どもにそういうことが伝わればいいなということを話してくださるし。農業をやっていて今まで思っていなかったんですけれども、今までは、たとえばアルバイトした時でもマニュアルというものがあって、何時何時に時間どおりにこれをしなさいって決まっていたりした。そういうのにずうっと慣れてきていたんですけれども、農業って一応肥料をやるって、そういうとこにもやり方とか量を書いてあるけれども、実際やる時って「まあ、だいたいこれぐらいやろ」。刈り取る時も1日2日置いておいたって、「まあ、晴れた日にしようかな」とか。そういうことをやっていると、本当に今までやってきた、工業化とかマニュアル化の中でストレス感じてきたものとは全然違うなって。「この大らかさっていう、農業の持っているものはいいな」って感じました。

結城:それでね、もう5年目なんですが、僕の息子が農業やっています。僕も息子は頭のよい子だと勝手に思っていました。大学行って大学院に行って、「僕は教師になる」って言ったから、まあそういうもんだろうと思った。で、出てすぐ高校の教師になりました。半年1年2年経っている間に、だんだんだんだん顔色が悪くなってきました。しんどそうであります。で、ある時ギブアップのサインが来ました。やっぱりおかしいと思っていたんですが、「辞めたい」って。でも分かったから「まあ、ええだろ」って、「無理はやらなくてええ」って。どれだけがんばったかは分かっているから。だってお兄ちゃんが弟に教えているみたいなもんでしょう。大学、22、3歳が17、8に教えるわけだから、向こうだって「やってらんねえや!」って思うものだからギリギリまでけんか腰で、部活やったりなんだりして、ま、ヘトヘトになりますわね。その時に息子はもう「お父さん、俺、ダメだ」って。俺も「このまんまいったらノックアウトでこいつおかしくなるな」と思ったですよ。

 その時の「ダメだ」というサインが来たんだから。分かります、そのサインの重さというか。コーチというか、親なんてコーチできないけれどそういうことが分かんなかったら、これ、後ろに控えている意味がねえわけですよ。それで、「どうする?」って言ったら、「割り切りのいい仕事をしたい」と言うんですよ。面白いなと思った。そういえば、サービス産業、三次産業というのは割り切りの悪い仕事なんですよ。「これでよい」なんてないですよね。行政の仕事、これでよいなんて思ったことないだろう? いっつも何か残尿感あるみたいでさ、後から考えると「これでよかったか」とかさ。三次産業というのは、だから神経と心を病む。病気に現われるとそうなるんですよ。一次産業は飢えとか空腹なんです。二次産業は結核、野麦峠みたいなふうに病気が現われる。三次産業は肉体ではなく精神と神経に現れるんです。

 それはもうみんな大きい声では言わないけれども、社会の中に今そういう気持ちを抱えている子はいっぱいいます。「これでよい、100点じゃない」ことが脅迫感になりながら、割り切りの出来ない仕事を仕事に受け入れなければいけなくて苦しんでいます。足りないところは劣等感になったり閉塞感になったり。そうやって若者が苦しんでいるのは、そういう若者に「それでええんだよ、アバウトで」と言ったって、「テーゲーだ、そうだな」って手抜きできるのは50過ぎてからですね、本当に。20代にそんなことを言ったってつらいや。だから俺、自分の息子にテーゲーなんて言ったって、あっちはもうピリピリしているわけですし、力を失っているわけで、ま、割り切れた。

 「何やる?」と言ったら、めっけてきたのはトラックの運転手であります。「この荷物を今日1台、あっちまで運んだらさ、深夜便で運んだらさ」って。それで割り切りがいいからなんとなくとちょっといたんですが、人間というのは欲張りですね。半年経ったら飽きてくるんですね、割り切りがいいというのに。しょうがないもんですよ。次の割り切りのいい所はプラスチック工場を探してきて、朝晩9時から5時までの。こっちのプラスチックを、粉をこう、なんかやって何百個かつくると終わりという、そういう割り切りなんです。それでまあ、バランスの悪さを保っていたんですよ。それで今度も飽きてくるんですな。飽きてくけれども、何やったかというと、朝早く出るようになりました。

 9時までに行けばいいんだけれども、6時半ぐらいに出て、途中に農家があって、そこで小さな畑、これぐらいの畑を借りました。帰りも5時に終わりますから、夏は水やりとかなんか。そんなんで、こう朝晩畑に寄りながら野菜をつくったわけです。自慢じゃないが土に触ったことのない子ですから、どこかから本を探してきて、プラモデルつくるようにして、こう本を見ながら、こうやって、こういうふうにして。それでも作物は育つんですな。育つんですよ。えらいですよ、作物は。人間が偉そうにしたってウソです。作物が偉いんです。そのことを農家は分かっているんですよ。

 それで、ある時、夏に息子が帰ってきてムッチャクッチャいい顔で笑っていたんです、僕の息子が。俺、何年か、十数年ぶりで、「ああ、こいつ、こういう笑い顔の子だった」って気づかされましたね。そこに持ってたのがトマト、キュウリ、ナスだったんです。「父ちゃん、なったぜ、おい」って。「なったぜ!」ってニッコニッコ笑った時に、「ああ、ずうっと十何年忘れていた俺の息子だ」って思ったんです。あんな嬉しいことはなかったんです。

 僕は作物に助けてもらったと思います。そうしているうちにだんだん自信を持っちゃったんですよ、もうちょっと広いものが欲しいとかね、どんどんどんどんこのぐらい借りたんですよ。3年目に4反歩借りましたよ。そして隣の山形にアパートを借りて、アパート、2部屋1万円の安アパートの6畳に今度、今時はすごいよね、部屋にブルーシート敷いてね、苗植えているんだよ。そこで苗つくって畑に植える。そうか、ハウス苗は古アパートでやればいいのかって息子に教えてもらいましたが、それで米3反と畑1反をつくって。そしたら、今から4年前に、4年か3年前に、「父ちゃん、やっぱり他人の土をよくしても、結局返せといわれたら虚しい」とかってなって、「金貸してくれ」って来たんですよ。それで1町4反、家付き。工作できない子ですよ、ハウス2棟、今建てて、真っ黒になってやっています。農業というのは仕事としてかもしれません。でも僕は作物をつくることによって息子があれだけのよい笑顔になり、金にはならないが自分で売るようになり、なんかこう育てられているなと思ったんです。

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