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人と自然を考える会
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地元学を知る

「地産地消で地域の再生を」

 地元学であるものさがし

(2006年10月9日(月・祝) 愛東福祉センターじゅぴあ)
講師:結城登美雄

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沖縄の地産地消の知恵

 沖縄もさっきの梵天と似ているじゃないですか。ここで、今日お話したい沖縄のおじいとおばあの地産地消という話、沖縄に調査を頼まれて3年間行っていました。高齢化社会の日本、今から何が大事だろうかということをまとめなさいということで、僕は頭で考えることは出来ないので、長く生きた人にお話を聞いた方がいいのではないかと言ったら、「ま、行ってらっしゃい」ということになり、50人の90以上のおじいやおばあにお話を聞きました。教えていただいたのは4つのことであります。これをレポートしました。

 1番目は「アタイ」を持てということです。「アタイ」。2番「ユンタク」を大事にしなさい。3番目「ユイマール」であります。4番目「テーゲー」。アタイ、ユンタク、ユイマール、テーゲー、なんていってなんのことだか分からないでしょう。私だって国内で初めて通訳ついた取材というか調査でありましたから。でもそれを翻訳して報告するのはばかばかしいので、第一章「アタイを持つ」って書く、これを政府に提出しましたよ。

アタイを持て

 アタイとは家の辺り、「すぐそばに」という意味です。「この辺り」「家の辺り」、それをアタイと言います。それは何かというと、このおばあがおじいがいます、これ104歳、96歳。で、ここにあるこれがアタイです。自給の野菜畑という意味です。「自給の野菜畑をまず持ちなさい」といっています。アタイを持てと言う。で、このおばあに、後で少し出ますけれども、僕は長生きするのはきっと有機無農薬でやっているからではないかなんてバカなことを考えて行ったんですよ。よっぽどいいものを食っているんじゃないかと言ったら、おばあは「普通のもの、普通のもの」って言うんです。そんなことはあるまいと、僕は疑い深いからどんどん言うとおばあが、「普通のもんだよ!」とこう怒るわけです。「見せてよ」と言ったら案内してくれるわけ。キャベツがこうありましてね、いろんな野菜があって、「これは在来種か?」なんて訳のわからないことを聞くんですよ、無知というのは恐ろしいもので。「普通の種だよ。あんたうるさいね」って種見せたら、サカタの種でした。

 普通のものでありました。必要であれば農薬も使っています。それが普通ということです。「虫、取りきれないよ」って。あるんです。沖縄ですよ、あったかい所は人間もいいけども、動物、昆虫にとったって、活発な活動。おいしいものがいっぱいあれば食いますよ。

 で、あんまり僕が疑うから、おばあ、怒りましてね、そら怒りますよ。「長生きは食いものだろう」、「いや違う、普通のものだ」って。そうしたら僕、こう言われたんですよ。「あんちゃん」って。もう60近いのに、しょうがないですよ、104歳からみれば「あんちゃん」ですよ。「あんちゃん、本土では食べもののことはどのように考えておるか?」ということを問われました。

 近江の人よ、おばあに代わって申し上げましょう。近江の人は食べものをどのように考えておられますか? 近江の人にとって食べものとは何ですか?

食べ者はヌチグスリ

 さあ、いかがでしょう。沖縄のおばあにそう聞かれたんですよ。「本土の人よ、本土の人にとって食べものとは何ですか?」と聞かれた。まさか「安全安心」と言うこと出来ないでしょう。そうしたら言葉がなかったんです、僕の中に。で、「うー」って言ってたら、おばあ、ニコッと笑って、「しょうがないね、あんちゃん。沖縄ではね、食べものはヌチグスリだよ」って言われたんです。「ヌチ」とは命という意味です。「グスリ」は薬という意味です。食べものは命の薬である。これが沖縄の食の哲学であります。日本の国会議員は政治の哲学もなければ、まして食の哲学もなんにもないのに、徒党を組んで食育基本法というのをつくったんです。僕は民主党からも自民党からもレクチャーをさせられました。同じことを申し上げることしか出来ないんです。何言ったってダメです。だから、名前言いませんが、ある偉そうな人に、「赤坂で飯食う能しかねえやつらに考えてもらいたくねえ」って言ったんですよ。赤坂の料亭ぐらいが食卓だと思っている人たちにね、日本の食育だなんて言ってもらいたくねえって嫌味を言っただけです。

 日本には食べものの哲学がありません。近江もまた食べものに対する哲学、考え方、それがなかったら食育というのはありえません。せめて考えがなくても、「食べものは大事なんです、なによりも大事なんです」って、そのことだけは最低限持たないと。「これは頭によく効くから食べなさい」とか「これは目にいいから食べなさい」とか、ほとんどみのもんたの餌食になってしまうだけです。そういうのが好きな人はみのもんたに食育をやってもらってください。

 食はヌチグスリである。「本土の人はみっともないね」と言っていました、おばあは。本土の人はみっともないねって、テレビでBSEだとかいろんなのが値上がりしたとか何か出ると、スーパーマーケットの店頭が出る。そうすると本土の人はこう、ハンカチ王子ではありませんけれども、「なんか買う時にすぐ手にとると裏を返すね、そして、こう疑っているね」って、「日付がどうだろうか、添加物はどうだろうか、表示はうそではないだろうか、そういう顔で見ているね、あれはみっともないね」って。「他人につくってもらって、頼んでおいて疑ってるね。そんなに疑うならなぜ自分でつくらないのか。なぜ自分でつくらないで他人のつくったものを疑うのか」、そういうことを言われて、私は本土代表ではありませんけれども、ズタズタにされて帰ってまいりました。

 沖縄はすごい所でありますよ。でもそれは、自分の中に食べるということに対してなんにも考えずに来たということを沖縄で知らされたわけです。たくさんの知識も本も読んだつもりでした。だけど、食べることの大切、このことに少しも思い至ることなく、ドコサヘキサエン酸だと何がええとかそんなことばっかり、ですな。日本人はそういうことになっちゃったわけです。そのために沖縄はアタイを持っている。他人に大事なものを委ねないために。それが生きる基本の場所である。家の近くにアタイを持つ。

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