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人と自然を考える会
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地元学を知る

「地産地消で地域の再生を」

 地元学であるものさがし

(2006年10月9日(月・祝) 愛東福祉センターじゅぴあ)
講師:結城登美雄

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人が手をかけたから美しい山になった

 それから、東北のこういう所まだ残っているんです。ほら、お天道さんのために、「木守り柿」というふうに。こういうものが。こういう所に人が。風景はサインを送っていますよ。ばあさんは鳥海山のここを見て、「ここが、この形になるとウドが出る」とか言ってますよ。「こっちの形がこうなるとワラビだ」とかってちゃんと。

 焼畑であります。焼畑専業農家というのがまだあります。こういう崖、乗り面を全部カブ畑にするんですよ、これ全部カブ畑ですよ。この崖を焼いて、これをずうっと収穫して漬け込んで、この方の年収720万です、焼畑のカブだけで。無理やり年収調べました。これがそのカブです。これ東京行くと「あらあっ、天然着色料ね」とかって言うんですよ。自然の色と着色料が分かんなくなったのが東京といいます。これが焼畑のカブです。

 ちゃんと馬で材木を、機械の入らない山もあります。これまだ生きて、「まだ生きてる」じゃない、これ胸にペースメーカー入ってるんですよ、心臓の。それなのにチェーンソウでガガガーっとやってるんですよ。後藤留蔵といいます。「じいさんダメだ、おめえ、死にぞこないが」とかって俺は言うんですが、この人とも長いつきあいなのですが、福島と山形県境の峠の奥の一軒家にいまだ暮らしています。今でも木を植えています。そうすると周りの人間が「あのじいさま、欲張りだぁ」って言うんです。「この木が育つ頃には俺は170歳になってなきゃいけない」とかって言うのが。日本の木はこういうじいさまたちによって支えられてきました。いやそうじゃないんです、もっとあんです。このじいさまがばあさまと一緒になって植えてきたんです。

 ばあさまはその木の売り上げは一度も、ほとんど使うことなくこの世を去りました。3回入院してまた4回目入院しました。その時にばあさまはこの留蔵に、「今度は戻れぬと思います」って。病院に入ったらこれが終わりだと思いますというのを、「今度は戻れぬと思います」って言ったそうです。それに対してこの留蔵、「ん」って言ったきりだって。男っていうのはバカだね、「ありがとう」も言えないんですよ。「ん」って言ったって、それでやっぱり死んだって。だけど日本の山は、木は、留蔵さんやその奥さんのそういう努力によって全て支えられています。

 そういうものとして山が見えなくなりました。人が手をかけたから美しい山になったんです。地産地消もいろんなこともあまり目先の理屈を追わずに、そこに人が関わっていた。

 ソバを打つ岩手の、これ鋤(すき)、足ふみ鋤。

これはなくしてはならない田んぼ

 この田んぼは減反になっても絶対植えます。この村は昭和20年8月15日以前、戦前までは米は、田んぼは1枚もありませんでした。でも米を食べたいということで、若者たちが合わせて20何年、開拓してつくった田んぼであります。最初の米が実ったのが昭和39年、東京オリンピックです。

 だけどその、つくった人たちは途中で戦争で取られました。レイテ、ガダルカナル、満州。そういった所で全部死んじゃった。だから、それを忘れないおばあちゃんたちが子どもたちに、総合学習のためじゃないんです。「ここはね」って、「なくしてはならない田んぼなんです」って。そうでなかったら、あんなに苦労してできた田んぼを…米一粒も食べられずに戦場に散った人たち、それを忘れぬ人たちが生きている所が村であります。そのことを伝えなきゃいけないと思って、こういうことをやっているわけなんですね。米とはそういうものだということ、それをなんか安いとかそれでは終わらない。

手をかける暮らし・人がつなげる暮らし

 シイタケ、1本に20の穴を開けて菌を入れていきます。これ全部やって6800円の日当であります。

 これが冬に備えるたたずまいであります。これが山が生きているということです。風を防ぐために積み上げています。風を活かして大根を干して漬け物をやっています。雪を活かし、風を活かし。これはこちらでもやるでしょう、ズイキ。僕らではカラドリとかイモガラとか言いますけれども、里芋の。こういうのは東京はぜんぜん分からない、「まあ、ステキな暖簾」とかって言うだけです。そんな人ばっかりがこの東近江も増えないようにしてもらいたい。

 ここからゾロゾロ、ゾロゾロ鮭が上にのぼります。上流にあと65人、これを待つ人がいるから捕らないんです。そして大漁というのはたくさんではなくて、これがこの集落の大漁の、3匹、4匹。ここにはヒレ一つまで全部食べ尽くす料理があります。それを貧乏ととるのか、どうとるのか。それはもう時代、時代であります。

 これを保存食にします。これは「ヘソ大根」といって、大根を茹でて干していくとベッコウ色になり、おヘソの形になってきます。地域ごとに切る形、凍み大根の形が違います。シジミを捕るお母ちゃんがおり、葭原(よしはら)があり、ここの方がもしかしたら、琵琶湖より今は多くシジミがいるかもしれません。こういう葭原のそばに今日本で唯一の熊谷産業という、僕の知り合いなんですが熊谷昭雄君がやっていますが、茅葺専門会社があります。それがあるからこういう茅葺がつながります。

 海だってシケることをみんな嫌がりますが、低気圧でシケたって朝に行くとこういう人たちが必ずいます。昆布が流れるからそれを拾う、流れ昆布の仕事です。海苔をやって、手元に持っているのも流れ昆布です。こっちに海苔があります。こういう海苔。定置網。遠洋のリタイア者が定置網の一荷投、二荷投をつくってこれでやっています。こういうとこに行くと脅されます。「漁師はもう20万はおらんぞ」って「もうおめえらの食いものは捕れねえぞ」って。中国13億が魚を高く、日本より高く買う時代になりつつあります。ウニも海草が付かないから、ひと夏に4回ぐらい2時間ずつ、合計8時間しかウニを採る開港日がなくなりました。小さな浜がこれからますます大事になっていくと思います。

 出稼ぎのおじさんであります。これは突きんぼ漁であります。これは一番日本の漁業でお金のかからない漁業。モリでカジキを撃つ、こういうものですね。3日に1本釣れれば家族は食べていけるそうです。それを願う大漁旗。船がだんだんだんだん少なくなっていきますが、地域ががんばってくれと応援してはいます。その捕った魚をつなぐ行商のおばさん。山菜を待つ双方のつながり、これが年寄りの店であります。山芋をうろうろ採ってきて、これがじいちゃんの店。「今日の飲み代入れば、俺はいいんだ」って言うんです。ばあちゃんはそうはいかないんで「私は」ってこう、これはばあちゃんの店です。こっちはちょっと売り切れでニコニコなんです。

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