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地元学を知る 「地産地消で地域の再生を」地元学であるものさがし (2006年10月9日(月・祝) 愛東福祉センターじゅぴあ)
市は地産地消の原点東北、秋田は市が多いんです。ここも八日市という市、中世なりいつか僕は分かりませんがそういう一つの。 ここは益田という、ここは230年ぐらい前からです。菅江真澄という人がいます、三重の方ですね。最後は秋田で亡くなりますが、菅江真澄さんがここを今から300年ぐらい前だったか、二百何年前に訪れて、「ああ、ここには鄙(ヒナ)がある」「鄙びがある」と言ったんですよ。京、近江、こういう所の雅です。京の雅、都ぶりであります。都ぶりもいいけれども、ここには「田舎ぶり」としての鄙の美しさ、鄙びがあると言った。「古式が生きている」というふうにも言っています。それが変わらなく今もあるんです。 なぜ市は消えないんでしょうか、市は地産地消の原点であります。これは山から来たおばあちゃんです。ここで山菜を売っています。ワラビ、ウド、ウルイ、売ってますな。これ今朝採ったんですよ。「何時に起きました?」って言ったら、「四時起きして採ってきました」。この人が嫁いで行ったのは別な所からですが、この方は街の人なんです。でもこの村に、かつていて、街に嫁いで来た人なんです。山菜というのはやっぱり土地の味に慣れると、他の土地のは「えぐ味」があるとか言って、なかなか、「やっぱりうちの村のウドが一番だ」というみたいな、そういうんで、こういう人が「待ってたよ」と来るから、毎年来るんですよ、毎週来るんですよ。 「待っている人がいるから私は早く起きて山菜を採って届けるんだ」って。 地産地消は掛け声ではないんです。それを待ってくれる人がいる所に届けに行くんです。そうすると、古い友だちが「ここをこう保存して…」、30分くらいこうやって話していますよ。すごいですね、こうやって30分話しているんですよ。そういうのをずうっと眺めているとなんとも言えない気持ちになります。
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