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人と自然を考える会
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地域資源を生かした「まちづくり」事例学習(その3)

「東近江を循環・共生の大地に」

 地域が自立して生きる仕組みづくり

(2006年12月23日(土) 愛東福祉センターじゅぴあ)
講師:
宮本憲一 嘉田由紀子 藤井絢子

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琵琶湖の次の循環を考える

嘉田:ここは琵琶湖河川行政の流れ、明治時代から平成時代、それとこういう図ですね。そして、琵琶湖河川行政の流れ。ここのところにあるのは、琵琶湖の政策は明治から現在までどういう価値観の下につくられてきたかということをまとめたものですけれども、やはり政策というのは時代認識が大変大事だと思っております。その時代認識の中で、明治時代水害対策が大変重要だった、命の安全性。その後利水が入り、生産性効率性を高める。その後環境を重視。ということで、利便性、物の豊かさを追求しながら生態的健全さ。

 今どういう段階にあるかというと、ここに共生、参画と協働ということを入れさせていただいておりますけれど、人も生き物も一緒に生きていくという、それと一緒にというところに県や市や行政や立場を越えたところでの協働をつくり出すんだというこの大きな社会の流れの中で、じゃあ何を循環させるかということなんですが。右の方の図の上と下と書いてますけれど、循環させるのはものだけではない。ものももちろん循環をする必要があります。

 上の図は実は水の流れなんですけれど、エネルギーの流れでもありまして、昭和30年代までの琵琶湖周辺は水路あるいは川、井戸から水を取り、滋賀県内の多くの地域では大便と小便を分けていました。これすごく大事な循環の仕組みでして、大便は本畑へ、小便はお風呂の落とし水と合わせて野菜畑へという形で。そして町の下肥は村に持ってきて、流れ出した琵琶湖。まず田んぼそのものは上から下へと一枚ごとに田越し灌漑で最終の水が琵琶湖に出たとしても、そこで藻があるいは水草が生えますが、それも取り上げて肥料にという。

 そして、ここに洪水と書いてますけど、治水ダムというのは昭和30年代まで日本にはありませんでした。そして、ダムがないから堤防で守るしかない、そうするとその堤防は村で自分たちでつくり、大雨の時には自警団、水防組織ということで社会の仕組みも循環していた。社会の仕組みが循環していたから、大雨が降ったら川も自分たちが見に行くということで川と人の心理的なつながりも近かったわけです。循環という場合には、実はものの循環だけではなく、この社会の仕組み、そして精神の仕組みまで含めてトータルに、まさに今日の野間さんのお話の合わせ技で考えないと本来の循環は得られないんじゃないかと思っております。

 それは理想ですが、今どうなっているかというと、上流にダムをつくるとダムをつくる行政部局、これは何百億、何千億と大変なお金がかかりますからそこに税金を入れます。税金を入れるということは、公的な判断がそこでなされる。そして、上水道の仕組み。農業だったらば頭首工(とうしゅこう)から農業の土地利用、圃場整備、そして水も。考えたらうんこ、しっこまでお金がかかるようになったんですよね。これは下水道という公的な仕組みの中に入っていって、いろんなものが公的な仕組み、そして最終的に琵琶湖に流れ出た水はまた汲み上げる、ダムで逆水を汲み上げてというこの大きな実はこれも循環なんです。琵琶湖と周辺との。これが今の平成の仕組みです。

 次にどういう次の時代の仕組みをつくり出すのかというのが、私は今日のお三方の話の中にもヒントが出てると思うんですけれども、かつての30年代までと今のまさに管でつながった琵琶湖と周辺の大きな循環、つまり集水域の全体の循環を両方を活かす、もういったんできている管を壊す必要はないです。きちんと公共施設として維持する必要があります。上水道も下水道も大変なお金を入れてつくってきているわけですから。

 その時に、両方を活かせる仕組みをどうするか。その極限が災害の時だろうと思うんですね。地震が起きたらどうなりますか。水道切れます、電気切れます、どうしますか。そうしたら井戸をきちんと維持しましょうよ。湧き水も維持しましょうよ。コンビニが止まったらどうしますか。隣のおばあちゃんから炊いてもらったおかず、隣近所で、それこそ池田牧場さんでっていうこの地域だったら小さな地産地消の動き。それが一番よくイメージできるのが災害の時だと思っております。

 ですから、次の循環を考える時には、一つは災害をどう自分たちの地域で乗り切るかということと、それと環境の持っている本来の力をしっかりと活かしていくこと。それともう一つはここに人間がいるわけですね。子どもたちや若者は今の仕組みをどうやって維持していくんだろうというようなところの次の絵を、実はみなさんとともに描きたいと、つまりbefore and afterで。このfutureというところをみなさんと共に描きたい。それが私の県政の柱になっていくんだろうと思っております。

藤井:嘉田知事と話していると、分かったかなあと思うんだけれども、知事になったらこれだけは一つポンというというのがまだやっぱり、5ヶ月半ですもんね。4ヶ月半。4ヶ月半だとあんまりゴンと言い切れないのかなあと思いながら、でも、先ほど宮本先生がおっしゃったように、まず棚卸しをすると。そこで税の再配分がその中で見えてくる。そしてさらに、今日大変典型的にこの東近江で始まっている循環と共生をテーマにしたこの細部の動きは、今日はたった3つの事例ですが、実は滋賀県内に本当にたくさん住民のイニシアティブ、それから市町のイニシアティブでやっていることまだまだ知事を含めてご存じないことがたくさんあると思います。そういうところを知事がすべて見るということではないんですが、職員も、そして今日お集まりのみなさんを中心に、人のつながりの中で、これこそが循環と共生の大地滋賀が国に向けて発信できると、そこに持って行くために、あまり知事だけに過大に期待してはいけないので、多分今日から宮本先生も知事のブレインになってくださるのではないかと。で、今日これ以降様々な分野でそれぞれの分野で、これは自分たちがブレイニングできる、一緒にできる、ここが欠けているぞということを含めて、この東近江からの発信の第一弾として今日のシンポジウムを終えたいと思います。限られた時間でした。少し議論が足りない、煮詰まらない部分もありましたが、みなさんどうもありがとうございました。

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