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地元学でまちづくり 「ほんまに私(みんな)が主役のまちづくり」広島県安芸高田市”川根”の地域づくり (2007年3月3日(土) 東近江市八日市図書館)
最後まで議論し、一人一人が責任を持つ我々の地域のみなさんはそりゃもう長けた文章をつくったり、そういう議論をする中で進めておらんかったですね。したがって、本当に地域のみなさんのところには、「わしの友だちはこういうことをしとる」、「わしの友だちの中にはこのようなことに関心を持った者がおるで」と言う。そういう人に来てもらって、一杯呑みながら、「実はわしらは今こういうところで悩んどるんだ」、あるいは「我々は今こういう構想を立てておるんだ」という話をさせていただいて、知恵もお借りしながら物事を前に進めていったわけなんです。 私の所というのは、一つのものをするのには、確かにみなさん方が悩んで、議論するわけなんです。最後のところまでやりきらにゃあいけん、行動というところまで行かんかったんですよ。みなさん方が、悩み、考えて考えてするんだが、最後の行動、ここまで行かんかった。ここまで行かにゃいけんなということを考えた。 というのは、一つのイベントやなんかでもいい例ですよ、みなさん。もうやる前から雨が降ったらどうするかでしょう。それは確かに雨が降ったらどうせにゃいいけんかというのはせにゃあいけん。一つの行事をするんでも、「誰がするんなら?」 「誰が見に来るんなら?」 「もし事故があったらどうするんなら?」 このような地域のみなさん方の声を聞く中で、最後の責任論まで出たというたら、みなさん方がよっしゃということになるでしょう。 「なるほどのう」と思うてね、みなさん方の議論というのは中途半端にしておいちゃならんなと。そこで、私がいい加減な判断をするといい加減なことしかできんということを学ばしてもろうたですね。自分がいい加減な妥協をすることによって、物事はうまくいくか、そうじゃない。 しっかりした判断しながら、それには準備のみなさん方が一つになってしていかんと絶対いい具合にいかんと。事故したら、「そりゃあ見いや、こういうことは初めからやめろと言うたのをやったから事故になったろうが」。こういうことになるわけです。「雨はそんなに心配じゃないと言うが、雨が降るということは言いよったじゃないか。なんもせんかったから、このようなことになるんよ」。数が少ない。「しっかりいると言うとったのを、このぐらいのことをするから、これだけ地域のみなさん、来ていただいた方に迷惑かけたろう」。こういうことになるわけなんですよ… それをみなさん方が、我々がしっかり議論していったら、責任転嫁にならんわけなんですよ。なるほど。課題はまた後につないでいく内容になってくるわけなんです。だから、私の所でやっとるいろんなイベントを見ても、本当にそりゃもう野外でやる問題等については、川根地域はテントがあればな、借りてきてセットすればええわけなんですが、そうはなりません。だが、雨が降っても、それをみなさん方が、やる者も楽しみ、来ていただいた方にも感動を与えるようなことを一人一人が動くことによって状況はつくっていけるわけです。 後にはこういうことがありました。「雨が降って大変だったですな。だが、私はそこで非常にすばらしい感動を覚えさせていただきました」という手紙が来るんですよ。みなさん方が傘もささず、カッパも着ず、一生懸命走り回っとる姿を見せていただいて、これが地域づくりですね。感動しました。来年もまた必ず寄らせてもらいます」ということで。地域のおばあちゃんたちがつくったものに対しても、「本当に今このようなものが食べられるんですか。どうして保存されるかということを、今度は行かせていただいて直接おばあちゃんたちに話を聞かせていただいて、仲間に入れていただく中でみなさん方と一緒に喜び、楽しませていただきたい」というような手紙が来るわけなんです。 そういうのも読ませていただければ、いい加減なことはならんなという。そして、自分自身がただ肩書きでものを言うんじゃなしに、地域のみなさん方と共に、汗をかいて手に豆をつくらにゃならんなというようなことを感じさせていただきました。
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