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人と自然を考える会
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滋賀県東近江市八日市金屋2丁目6番25号
東近江市立八日市図書館内

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FAX:0748-24-1323
 
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地元学でまちづくり

「ほんまに私(みんな)が主役のまちづくり」

 広島県安芸高田市”川根”の地域づくり

(2007年3月3日(土) 東近江市八日市図書館)
講師:辻駒健二 眞喜志敦

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1980年頃から減少した共同店

 1980年。もう20、30年ぐらい前になるんですね。その頃には沖縄本島北部に86、今16しかないんですけどね。だから、ほとんどの集落にあったんですね、必ず。中部に7、南部に10、宮古に3、八重山に10、合計116共同店があった。これは『沖縄大百科』というものに出ている数字ですけど、定義がそもそもあいまいだし、さっきも名前も全然違うって言いましたよね。仕組みは、最初に紹介したように共同出資だったり、配当を行なったりと大体共通していますけど、細かな仕組みが全然違うんですね。出資金も今で言うと1000円、2000円の所もあるし、一口5万円、それを2口といかいうものすごい所もあったそうです。

 そういうふうにもういろいろなので、実は沖縄の県も市町村も共同売店がいくつあるとか全く把握していないです。興味もないです。私も聞きに行きましたけど、誰もそんな部署がないというか、関係がない。これは行政じゃないから、ということらしいですね。商工会に入ってたら関係あるけどねーって言うぐらいですね。だから、いまだに数ははっきりしないです。いくつあるのってよく聞かれますけど。難しいんですね。

 これが1980年前後の沖縄国際大学の調査で出てきたものですね。これは当時なくなったものもずらっと並べてあるので、点がワーッといっぱいあるのが分かると思いますけど。この後減っていくわけですね。減っている理由はあれでしょうけど、本土復帰以降沖縄でも過疎化、超高齢化が進んだというのが一つと、奥集落ですね、最初に出来た奥という所では現在200人ぐらいの人口なんですけれども、戦後最も人口が多かった時期の6分の1、100年前でも4分の1ということですね。1000人以上いたんですね、それが今は200人です。

 その原因としては先ほどもいろいろ話していたんですけれども、まずは交通事情がよくなったということですね。道路が開通してどんどん道がよくなっていく。沖縄の海岸は埋め立てられて、こーんな道だったのが、こんな道になっているので、すぐ名護辺りまで、那覇辺りまで行けちゃう。そうなってくると、地域の共同売店の存在理由が薄まっていくわけですね。で、産業構造の変化。これは地域の農産物、林産物の出荷拠点だったものが、農業自体が衰退していく。農業の担い手自体が減っていく。ということで、共同店はどんどん減っていったわけですね。

 これが去年の10月ぐらいに調べた時の、この本を出す時に調べたものですね。60店から70店。これもちょっと定義がすごくあいまいなので、できるだけ拾った数ですね。まあ残っているのは、交通の不便と言われる所ですね。ほとんど。この石垣の辺りもいわゆる裏石垣と呼ばれている地域です。

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