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地元学でまちづくり 「ほんまに私(みんな)が主役のまちづくり」広島県安芸高田市”川根”の地域づくり (2007年3月3日(土) 東近江市八日市図書館)
共同店の性格と機能これは、宇良共同店っていう国頭(くにがみ)にある所ですけれども、集会所ってそばに書かれているのがありますよね。2階は集会所なんですね。公民館。公民館と売店が一緒になっています。これ、大体半分ぐらいがそうですかね。多いパターンですね。で、集会所の中にいわゆる区事務所みたいなのがありまして、これは沖縄大学の先生ですけれども、「本土や他県にも共同売店と名の付くものがあるけれども、今日ではそのほとんどが地域振興の物産店や観光客相手の売店だったりするのと違って、共同売店というのは集落の住民の生活拠点である」ということなんですね。基本的に観光客とかは相手にしてないんですね。今どんどん減り続けて観光客というかドライブ客とかも相手にしないといけない状態にはなってきているんですけど、基本的にはそういうことなんですね。 で、これはヤンバル学というのを提唱されている地域に根づかれて研究されている仲村先生という方の紹介されていることですけれども、奥共同店のことですね。「林産物の出荷、船を所有しての海運流通業、共同店の基金を活用した金融業、育英事業、村の諸事業、活動への補助、支援、精米業、酒造、お茶の製造、流通販売業。今流に言えば、奥共同店は、総合コミュニティ共同体であったし、現在も基本的な性格と機能は変わっていない」。まあ、後でゆっくりやりましょうね。今は精米所とか酒造は残っていないんですけれども、こういうことも過去はやっていた。 これはいわゆる売掛帳ですね。ツケを書くものですね。これもやっぱり普通の商店とは違うところだなあと思って。これは1班、2班、3班というのに集落が分かれているんですね。で、全員の名前が載っています。全員の名前が載ってて、小さい子でもどこの誰々と分かるので、来るといくら買ったって付ける。お金を持っていなくても、「じゃあまとめて払ってね」ということになる。 今は一ヶ月まとめてのツケの払いっていうのはほとんどなくなっていますけれども、昔は本当に現金のない頃、私の父親なんかもそうですけれど、父親の父親が、おじいちゃんが大工だったので、お金が入ったらツケをまとめて払うと。みんな本当に貧しい時代だったので、そういうことをしてみんな生活していたんですね。そういうのを支えていたのが共同売店だっていうことですね。
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