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地元学でまちづくり 「ほんまに私(みんな)が主役のまちづくり」広島県安芸高田市”川根”の地域づくり (2007年3月3日(土) 東近江市八日市図書館)
記録づくりの意味阿部:ありがとうございます。ほか、いかがでしょうか。 会場4:先ほど、奥という地域で100周年で歴史書というか成り立ちとかそういったものをつくる活動を紹介していただきましたけど、そこら辺の意義について。私もつい最近蒲生町の大塚という所でね、絵図、要は地域の絵図。どこに塚があり、どこに川がありとか、どこの家はここだったんですよとか、絵図を老人会がつくっているんですよ。その目的っていうのは、都会の方が田舎に来て民泊をした場合の語り部のツールなんですね。そして、老人会の方がずっとつくっておられるんですよ。私が考えるのには、やはりそういうものをつくる過程も楽しいし、老人の方も、塚なんかでもほとんど名前が付いているんですけども、知らないんですね。そこの地の人も。「あの人じゃないとちょっとその塚の名前は分からないな」と。ワイワイがやがや言いながら何日も何回もかかってつくっていってるんですね。最終的には都会の方や、学童なんかが来た時のツールとして、老人と全然知らない都会の学童が語る場合のツールというふうに私自身は考えているんですけれども。その辺も沖縄でそういうものをつくる場合に、つくる過程も非常に私は意義があると思っているんですけれど、どのように活かしていくのか、その辺何かあればちょっと。 眞喜志:奥のたとえば100周年記念誌がどう活かされるかということですか。具体的に何かのエコツーリズムとか、山村留学みたいな形のツールにするというアイディアはまだないというか、そういう意識でやってはいないと思いますね。でも、一つのアイディアとして、たとえば各共同店がそれぞれのマップづくりや絵図のようなものをつくって、つくる過程でも楽しんで、それを何かに活かしていく、つなげていくというのはすごくおもしろいことだと思いますね。 奥の方々がやってることは、本当に記録をきちんとまとめて後世へ伝えようという意識でやっておられて、当時の経済状況だとか、この時の許認可はどうだったとか、とかいうものをきっちり押さえようとしておられて、 阿部:それは資料がしっかり残っているということ? 眞喜志:そうなんです。それが本当にすごいんですね。議事録なんかも各歴代の区長さんとか主任さん… 阿部:あれ、沖縄戦は? ごめんなさい。ちょっと歴史的なことをあんまり知らないので、北の方はどんな感じやったんですか。 眞喜志:戦争で大分資料は失われています。空襲もありますし、それから艦砲射撃でちっちゃな田舎の村でも、燃料の薪とか炭を出す拠点なので、ほとんどのちっちゃい部落もやられてますね。それで、昔の資料が失われて、今でもいつできた共同売店なのか分からない所が結構あります。 阿部:奥はしっかりそういうのが残っている。 眞喜志:残そうとしているんですね。
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