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人と自然を考える会
所在地
滋賀県東近江市八日市金屋2丁目6番25号
東近江市立八日市図書館内

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FAX:0748-24-1323
 
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地元学でまちづくり

「ほんまに私(みんな)が主役のまちづくり」

 広島県安芸高田市”川根”の地域づくり

(2007年3月3日(土) 東近江市八日市図書館)
講師:辻駒健二 眞喜志敦

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空洞化する地域をどう守るか

阿部:いかがでしょう?

会場1:お話をこの地域のことに引っぱってきたいと思うんですけれども、最初ごあいさつがあった時に、永源寺の奥の方の地区のお話が少し出たと思うんですけれど、多分奥の方の集落が農協が撤退し、ガソリンスタンドもないし、何か食べ物を買うといってもお店がないという状況で、現状、ダムより上に住んでいる、まあたとえば一人暮らしのご老人で車に乗られないとかそういう方は、何か買い物をしたい時にはどんなふうにしてはるのか? 僕はちょっと知らないで聞いているんですけど、たとえばそんな状況がもしかするとあるのかな、と。

 隣の人が助けてはるのか、親戚が助けてはるのか、何かの方法で普段は買えない、野菜ぐらいはつくれると思うんですけど、それ以外のものを買いたい時とか、何か薬が必要になった時とか、そういう時にはどういうふうにダムより上の方は暮らしているのかなあと、もし知っている方がいたら、教えてほしいなあなんてちょっと思いました。

阿部:永源寺の方、どなたか?

会場2:はい。ダムより上と言いますと、かなり奥のように聞こえるんですけれど、一応町営バスも走っておりまして。10年ほど前、実際本当に雑貨屋さんとかお魚を売っているお店はなくなってまいりまして、10年ほど前までは行商といって軽トラとかにそういうものを積んで集落をまわって売っておられたのも、もうそれもなくなりました。

 高齢者の方がバスを利用して、山上、役場のある所に診療所もあるんですけれど、山上に行く時とか、八日市へ出かけられた時に大量にというよりも、何日分かの食糧を買って帰られる。あるいは、助け合いというか支え合いで隣の方が乗せて行って、買い物をすまされて帰って来られるとか、そういったことをされていると思います。

 それで、話は別なんですけれど、59年豪雪、59豪雪でかなり雪が降ったんですけれど、去年もたくさん雪が降りまして、59豪雪の時は、永源寺で一番奥の君ヶ畑という所でも自分たちで雪かきをされてたんですけれど、20年後の去年は雪かきをする方々がみんな高齢になられて、自宅の前の雪もかけないというような状況でした。それをちょうど合併した時でしたので、能登川の職員さんも蒲生の職員さんも来ていただいて、三日間の奉仕で雪かきをしていただいたんですけれど、東部地域はそういうような状況になっております。以上です。

会場1:川根もそういう状況ってありますよね。その辺は実際どういう対応をされているんでしょうか。

辻駒:私の所の万屋なんですが、沖縄の共同店舗と同じように、その施設におるものが動けん場合には地域のみなさんの協力に願わねばならんという、そういう地域もあります。この前うちの女性会の会長が、女性会と言いましても、これも発展的に解散させて、今の振興会の中に女性部をつくったんですがね。女性部の部長、あわせて振興会の副会長もしとるわけなんですが、豆腐一丁持って15分かかる所へ行くわけなんよね。「おばあちゃんが豆腐を一丁注文してから、それを持って行ってなんぼ儲かるんか」というて地域のみんなが問うたわけですよね。

 そしたら、その人はどう言うたかいうと、「豆腐一丁持って行ってなんぼ儲けようということは考えていません。自分を使ってくれることが儲けなんだ」と。そういうような話をされたので、僕はテレビで放映したのを聞いてすごいなあと感じました。そのようなことを常に話はしとらんのですがね、やっぱり地域づくりをすれば、自分を使ってくれることが儲けだという、地域の存在というものを自分自身がぴしゃっとしとるなあということを感じました。

 したがって、おばあちゃんは、「いやあ、まだわしはここへ置いてもらえるなあ」というね。ここで生活できるという、まさに安心・安全ですわね。ですから、本当に、私の所の状況というのは、まさに人の空洞化言うんかなあ。人が少なくなったり、そのことによって土地が荒廃してくる。今度は、昔からあった伝承、文化やなんかそれがまた停滞するという。地域全体が空洞化してくるわけなんよね。

 それには川根という村、昔の村が空洞化してきたわけなんですから、それを一つずつどうするかという議論の中で自分たちの地域を守っていかにゃいけんなあという、こういう活動をさせてもらいました。

 やがて、72年の大水害の時には、まず自分らの安心・安全というものは行政に頼っとっちゃならんなあという、そこからスタートしたんです。それで組織をつくって、みなさん方が支えおうていくという内容をつくり、それには今度は人間が楽しく生活せにゃあいけんで、ということでいろんな事業、イベントを興したり、なんやかんやすると。それでその次には、「ただ楽しいだけじゃいけんで」と。豊かな地域をつくるということになれば、そこでコミュニティビジネスじゃないがね、ちいとなんかしようやということになり。今はまさに高齢化が進んだ地域なんですが、誇りを持たにゃならんというね。そういうのは人の安心・安全から、次には豊かなのを楽しく生活しようという、豊かな生活をしようと。今の段階では、ふるさとに誇りを持つという。こういうところまで、僕は行ったんじゃないかということを感じておりますね。

 集落の中には、本当に人が亡くなって、その人が亡くなったお世話ができないという状況が出てきております。その地域には都会に出とる若い自分の息子なり娘なりが、「月に一回帰って来い」というふるさとに残っているじいちゃんばあちゃんの呼びかけに対して、帰ってくると。というのは、人が亡くなって帰ってこいというだけでは、地域の実情が分からんと。そういう中では、帰った者も寂しさを感じるが、月に一回帰ることによって地域のじいちゃんばあちゃんの顔を見れば、親も安心するし、自分らも安心するという、こういうことで自主的に月に一回日曜日に帰って来よる。こういう姿を見た時に、やっぱりまちづくりをせにゃあならんなあと。行政に頼っとったらそこまでのことはできんでという。身近な一つの行動というものが、私は本当に自分の胸を打ちますね。そういう状況になります。

 限界集落言うてね、本当に15戸ぐらいある集落なんですが、そこで「一番若いのはわしだ」という人が、75歳ですで、みなさん(笑)。一番若いのがわしだ言うのが75じゃから。ですから、本当に支えていく状況というものは、人間というものはそういう地域におればね、みなさん方が一つの家族みたいな関係というものを自然につくり上げていくんだなあということを感じました。

阿部:まあ、昔はそういう意味では、その15軒の集落で、まさにお互いさまでできていたんですが、それがなかなかできなくなったから、もう一つ大きいエリアで支え合うと。それが振興会の仕組み。この東近江で言えば、まちづくり協議会のような仕組みになるんかなあと。

辻駒:振興会というのはそういうものじゃとみなさん方が改めて感じた言うんかな、そういうことじゃないかと思います。

阿部:今、楽しくないと続かない。そうですね。こういう活動はやらされ感だけだったら続かないというのはあるわけですけれど、楽しいだけでは逆に、楽しさだけでは続かないというのがあって、そういう意味では、先ほどからお二人にお話していただいているのはね、経済をからませている、地域経済ですよね、まさに。その中で食えてるか食えてないかは、まあもう一つ。まあなんとか食えてるという感じなんやと思うんですけども、そういう視点が非常に大切なんかなあと。東近江のまちづくり協議会に私もいろいろ関わらせていただいて、今は交付金が出ているけれども、その交付金が出なくなって、じゃあそれをどうしていくかということに、やっぱりそこでコミュニティビジネスという言葉は非常にきれいな言葉なんですけど、そう言わずとも、なんらかのお金をまわしていって、そこで関わる人が食っていけるみたいな、そういう仕組みがいるんかなあという気は常日頃持っているんですけれども、まあ言うのは簡単で、実際はなかなか難しいですよね。ほか、いかがでしょうか?

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